2011年の4月のスペイン。バルセロナ編-1:ガウディー様の作品を直に観ました。
約半月日本を離れていて、その間の情報欠損をネットで補充したが、マスゴミご推奨だった民主党政権はますます奈落の底に落ちているようで。酷い政権になるとオイラ予想していたが(オイラの過去記事参照)これほど当たった試がなかったほど、予想通りだ。小沢の秘書だった石川被告の公判で、小沢被告の罪は政治資金規正法だけではなく、収賄罪の可能性も立証されつつある。そんな中で民主党は双方憎しみを持って分裂状態だ。なんたって首相は無恥・無能、支える閣僚もこれに続く。鳩ポッポも未だに何か偉そうに喋っている。もうアホかと。とことん奈落の底に落ちればいいとさえ思う。来年の今頃は、選挙目当ての詐欺政党だった民主党が削除されていることを祈願する。
さて、本題。
スペインの財政の状態はますます悪くなっているようなのだが、今回の訪問時は前記事のように、”Semana Santa”の観光集中時だったので景気の悪さは微塵も感じなかった。しかし、・・スペイン失業率がさらに上昇、21.29% 過去最悪:4月30日(土)15時42分CNN
景気低迷、財政悪化に直面するスペイン政府は29日、今年1~3月の失業率は21.29%、失業者は490万人を記録したと発表した。前四半期比では約1ポイント増。 失業率は欧州連合(EU)加盟国で最悪水準となっており、経済再建で国際通貨基金(IMF)などへの財政支援の要請が取りざたされている。失業者は約470万人で、過去13年では最悪記録だった。今年の第1四半期では失業者がさらに21万3000人増えたことになる。産業、建設、サービス業や農業など全分野で失業者が膨らんだという。スペインの総人口は約4532万人。
完全にバブルは弾けてしまったようだ。訪れた各地の賑わいも、ほとんどが欧州からの観光客が占めていたのだろう。物価はそれほど安くない。これから恐ろしいスタグフレーションが進行していくだろうか。
最初に訪れたのは、バルセロナだ。
経路は、成田からロシアのシベリア上空を飛んで、ミューヘン経由でバルセロナに入った。30年程前に欧州に行った時には、まだソ連健在で東西冷戦時代。まず羽田からアラスカのアンケレッジで給油、そして北極の上空を飛んで欧州入りをしたのものだった。
このバルセロナは、首都マドリードにつぐ人口160万人のスペイン第2の規模の都市。近郊都市圏を含むと420万人だ。カタルーニャ州にある。もともとバレセロナ国として独立していたほどの地域で、いまでも一般庶民はカタルーニャ語を日常使っている。つまり小さな意味のバイリンガル。ちょうど中国と同じように、上海語、広東語などが健在なのと同じ。大変独立意識が強いそうだ。
バルセロナの都市計画
街区中央の都市計画は、碁盤の目のような真四角の連続で、そこにゴシック調の建物がびっしり埋まっている。
19世紀には産業革命が起こり、数多くの新しい産業が導入されて成長した。その結果、バルセロナには過密による不衛生など都市問題が発生したため、その解決のために市域の拡張が計画された。
1859年に行われたコンペの結果、イルデフォンソ・セルダの「大拡張計画」が採用された。この計画では133.4m四方の正方形を一区画として、碁盤の目のように南北に道路を整然と敷くものである。中世の城壁は取り壊され、La Ribera の城塞は都市公園に転用されて現在のシウタデリャ公園になった。20世紀の初頭には、カタルーニャ人が自治と文化的表現の自由の拡大を求めて騒乱を起こしたことで、バルセロナの復活が明確になった。
街区の中は、外観は古いが中を現代的に改造したものがほとんど。一時そのゴシック調の古い建物を壊して、近代的に新築した味気のない建物もあるが、今は大昔の外観スタイルをなるべく保存しようとしているようだ。
海に面するところには、大きなな港湾施設があり、海洋貿易の拠点となっている。そんなところから、神戸とも姉妹都市となっている。
中心地は碁盤の目の形状の街区は交差するところは大きな隅切りがしてある。
これ、ガウディーの作品カサ・ミラのある大通りなのだが、グーグルアースで計ると、大通りが幅65m、交差する中通りが約20mある。そこに、広い歩道+植込み+自転車専用路+車道。また通りによっては、歩道+車道+中央広場的歩道+車道など。通りによってまちまち。
もちろん、中心地の周りの市街地は、通りが狭い。
こちらの大通りは、約10m、中通りが約6m、小通りが約4mと日本並み。
但し大通りとしても、歩道の幅が広い。また自転車専用路もしっかり確保されている。
まぁ、そんなこんなで、とにかく地図を片手に歩くそしてまた歩く。オイラのソーラー腕時計には方位計がついているので、それと地図に合わせて進むので、だいたい目的地には大きな狂いがなく到達できた。
特筆すべきは、夜の照明について、北米やアジアと全然違うことだ。ネオン眩しい看板が一切ない。突き出しネオン看板もほとんどない。まして消費者金融の看板なんてまったく無い。コンビニも、自動販売機(ベンディングマシーン)も路上には皆無だ。もちろんパチンコ屋なんてない。企業のネオン看板もない。店舗の屋内照明のみ。だから逆にこれが非常に目立つ。また上階の窓の明かりも僅かについているのみ。だから比較すると暗いが、別に困ったような暗さではない。これが大人の程よい明るさなのか?考えてしまった。結構心地いいものだ。つまり。法律で夜の明るさの最高限度を押さえている。これは欧州の文化なのであろう。地方都市でも参考にしたらどうだろうか。
地下鉄
地下鉄(メトロ)は8路線あり、そのなかで乗り換えは自由。日本と比べ運賃はすこぶる安い。1回1.45€(180円)で場外に出ない限り各路線乗り降り自由。10回分のチケッットで8.25€(1,200円)数人でも使える。
自動改札機。チケットを確認をすると、後方にあるアクリルが開く。
ドアにはボッチが付いていて、乗り降りにはこれを押さないと開かない。内部も同じ。だから降りるのが自分達だけの場合、それをしないと自動では開かないので慌てることになる。
建築家ガウディー様
このバルセロナはなんといっても建築家ガウディーの残した建築作品群だ。サクラダ・ファミリア⇒グエル公園⇒カサ・ミラ⇒カサ・バトリョ⇒あと他モロモロと見ていった。より詳しくはネット検索で調べてほしい。
1987年当時のアントニオ・ガウディー(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)
サクラダ・ファミリア
最近まで、礼拝堂を中心として修理中でその部分は見れなかったらしいが、今回は見ることが出来た。拝観料は1人14.50€(1,810円)+エレベーターで最上階へが2.5€(310円)。結構高額なのだ。交通費は安いが、他の施設も含めて拝観料は高い。が、それだけの価値があった。
(クリックで大)
←案内板。バックの色違いの塔は未完成の塔。全完成でこの様になる。
←これ、ガウディーの特徴の通気庇。外観のボチボチは、数千に及ぶこれが構成している(螺旋階段を下りていく途中途中で見られる)。
まさに、ガウディーしか考えられないようなデザインで、1882年着工、1883年にガウディーに設計・建設を引き継がれ、以来128年間の建設中。ガウディーの死後もそのポリシーが守れた建築が行なわれている。なんでも、この20年以内には全部完成とかの噂もある。
外観の印象はまさに巨大蟻塚を思わせる。また内部は映画”エイリアン”の一場面を思い出した。とにかく直線というものを極力排除することによって、天然自然性を感じさせている。まさにガウディーは19世紀から20世紀初頭にかけて花開いた”アール・ヌーヴォー(新しい芸術)”の代表的建築家と云える。特徴は自然界にはない直線デザインは極力排除して、曲線で構成するデザインに徹するというポリシーだ。
グエル公園とガウディー邸
いまでこそ、このガウディーの作品は、抜きん出て国際的にも評価が高いが、これは死後のことで、当時は変わった建築家程度だったらしい。建築家・芸術家として成功するのは、有力なパトロンが付くかどうかなのだが、このガウディーには、大富豪の実業家が付いていた。そして、このグエル公園の地には、別の、ガウディーに傾倒した富豪のグエル伯爵と一緒になって、公園を中心とした高級分譲地の造成に掛かった。しかしこれは大失敗だった。購入者らが、このデザイン発想についてこれなかった(当時とすれば気味が悪かったのかもしれない)。60軒分の住宅分譲を計画したが、結局モデルハウスとして建築した、グエル邸とガウディー邸の2軒のみという結果になってしまい、グエル死後は、借金の差押さえもあったのか、市に寄付された。
ここは、入園は無料だが、ガウディー邸内の見学は、5.50€(700円)。
↑この公園のエントランス
大変座りごごちのよかったベンチ。
課外授業なのか、小さな見学者が一杯いた。昼食は食パン1枚にゆで卵1個。かぶり付いていた。まるで天使のように可愛かった。
園内にあるガウディー邸
カサ・バトリョとカサ・ミラ
滞在したホテルから出た大通りに、このカサ・バトリョとカサ・ミラがあった。これガウディーが手がけた共同住宅。ここも大変人気があり、外観のみならず、内部を拝観していた。拝観料はカサ・バトリョが、18.50€(2,310円)とちょと高く、カサミラが11.00€(1,400円)。
カサ・バトリョ
完全に周辺の建物とは違うファサードなのだ。浮き出ている。
下屋の屋上テラス。
これがガウディーの排気塔。ほとんど欧米では日本と違って、横排気ではなく、屋上・屋根排気の設計にしてある。これは火気の排気だけではなく、臭気や通気の排気も兼ねている。単なる煙突デザインではつまらないとガウディーは考えたのだろう。この建物の象徴的存在になっている。仕上げ材はほとんどガウディーお得意の、色彩タイルの割り貼り付けとしている。
カサ・ミラ
撮影状態がイマイチなのだが、ガウディーは天井や軒裏に大変気を使ったデザインを施している。
やはり、屋上の排気塔が凝っている。これ騎士の甲冑をイメージしたとか。壁にある突起状は庇形状の排気口窓。
たまたまここで偶然、孫娘と同じ名前の女の子を見つけたので親に許しをもらいパチリ。
その他として
バルセロナでは、カタルーニャ美術館で、約数百点の宗教画を見学。聖母マリアとキリストについて、呆れる程の各種宗教画を観てくたびれました。想像画とは云え、よくここまであれこれ表現が出来るものだと、疲れながら感心してしまった。
この美術館の正面右側になんと、建築家ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日アーヘン で生、- 1969年8月17日シカゴで没)の作品が記念館としてあるのを見つけた。オイラ若い時、彼の作品の設計図を摸写製図したものだ。ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライト、ヴァウター・グロピウスとともに近代建築の四大巨匠の1人とも言われている。ガウディーの作品やゴシック建築とは、真逆なポリシーで設計が為される。薄く、奥行きの深い軒や庇。そして静かなる池。まるで薄い石板とガラスを組み合わせたような建築だ。この組み合わせが、まことスッキリした感じを与える。
後で調べたら、1929年に開催されたバルセロナ博覧会でドイツ館でのパビリオン。その後解体されたが、1986年に同じ場所に復元され記念館としてあるそうだ。よい拾い物をしたと感じた。
記事の容量が大変多くなりましたので、ここで一旦この記事を終了とします。次回に続きます。
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コメント
おかえりなさい。記事おもしろく読ませてもらってます。
送ってもらったはっさくおいしかったです。ありがとう。
何 美怜
投稿: | 2011年5月 2日 (月) 11時44分