2011年の4月のスペイン。マドリード編:そこは広大な平地の中にあった。そしてトレドへ。
バルセロナ空港から一路マドリード空港に飛んだ。このバルセロナの空港も最近造り変えられたのだろう、最新の建築だった。この空港”プラット空港”と呼ばれていて、同所なのだがターミナル1と2に分かれていて、この間を無料バスが巡回している。ほとんどがターミナル1となるが、ターミナル2には鉄道の駅が併設されている。
ここへは、カタルーニャ広場からシャトルバスが巡回している。約30分の距離だ。バス運賃は片道4.3€=550円。これタクシーだと約32€=4,100円掛かった。空港関係のタクシーは、最低20€という足かせがあって、それ以内の近いところでも、20€取られる。これよくトラブルの原因になるそうで。オイラも最初のホテルが空港近くで、ボル、ボラナイでトラブった。運転手をそのホテルに連れて行き、フロントで説明を受け納得した。車内に小さく「空港の場合ミニアムが20€」と表示がされていた。ガイドブックには、3.10€加算とあったがその後、タクシーを利用する客が減ったのか、改定をしたようだ。景気後退の表れなのか?
マドリード行きのフライトに乗り込んだ。上空から見る景色は・・・・・。
当初海のように広いダム湖を見つけたが、それ以後は広大な平地に広大な畑が続いている。北海道の平地なんてものより、さらに大きい。もちろん点々と小さな街があった。
マドリードは、グーグルアースからコピペすると、このような街区となる。
画面左下がマドリードの鉄道中央駅になる”アトーチャ駅”。この駅から歩いてすぐのところにホテルを取った。その上にある大きな緑地が、プラド美術館など美術館通りを左に見た”レティーロ公園”となる。
ご覧のように、一部碁盤の目のように区画されているが、ほとんどが迷路状の街区となっている。人口は約330万人のスペインの首都だ。古代ローマ時代からこの地は繁栄して、様々な国家間の紛争をしてきた。特にルネッサンス期には、南米を植民地にして、膨大な富がこの地に流入して黄金期を迎えた。しかしユダヤ教・イスラム教との宗教間の揉め事があったり、ナポレオンのフランスに占領されたり、スペイン内戦(1936年-1939年)があったり、フランコの独裁政権があったり、やがてフランコの死後、民主化が進み、スペインの経済活動の中心地としての首都となった。これから見ると日本・東京なんてのは、歴史的にはお花畑のような平和なところだ。
まず最初は一番有名な”プラド美術館”に行った。ここに展示されている絵画は無尽蔵にある。やはり基本は、聖母マリアとキリストにかかわる宗教画で、ほとんど占められている。画家の作品としては、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ルーペンスなどの作品を観ることができる。拝観料は8€=1,000円。じっくり観るには半日以上掛かる。これ観ていてこれら宗教画に疎いオイラとしては疑問を生じた。イエス・キリストは、貧しい大工の父親とマリアとの間に生まれたのだが、父親像がほとんどない。また金持ちではなかった聖母マリアは、なぜあんな王妃のような衣装姿で描かれているのだろう。この辺は考えることがタブーなのか(笑)。相当欧州の歴史に詳しくないと、楽しむにも限度があり、いい加減で疲れてしまった。どれを観ても同じに見えてしまう。まさに猫に小判、豚に真珠といった境地になってしまう。
因みにこの隣に、かの超高級ホテルの有名な”リッツ・ホテル”があった。
次に旧市街地にあるマヨール広場(plaza mayor)。ここはベニスのサンマルコ広場によく似ている。いや広場としては、ここの方が大きい。回りに幾つかのカフェのテラスが並び飲食をしながら、この景観を楽しめる。大道芸人のエンターテイメントも数々あった。この上階の部分は何になっているのか分からない。多分ホテルになっているのかもしれない。
やがて歩くのに疲れ果てたので、展望バスに乗ることにした。これ乗り降り自由で1日券が17€=2,100円。上部から街並みを見ることが出来る。
座席には、各国用の案内解説をイヤホーンで聞くことが出来る。このイヤホーンは回収はなく、もらえる。表示されている国は、スペイン語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア連邦、そして日本語。これらの国々がお得意様ということか?
手が届きそうな、街路樹のマロニエ。ちょうど開花時期に当たった。また広い歩道にあるカフェテラス。
展望バスからの眺めと解説で、近代建築も世界的に有名な建築家の手がけた建物が沢山あることを見ることができた。
夜は、ホテルに予約を頼んで、フラメンコをコーヒー付きで鑑賞した。食事をするとより高くなるから。”カフェ・デ・チニータス(cafe de chinitas)”というお店。三人で90€=11,250円とそれでも高かった。もちろん夜だったのでタクシーで往復した。
唄はマイクなしに楽器に合わせて、地声で吼えるように唄う。踊るときは、今にも喰い付きかかるような、怖い顔をして。迫力はあったが、オイラ何を言っているのか分からず、勝手に想像しながら観ていた。「こんなに、私が愛しているのに、他の女に手を出して!悔しい!殺してやる!喰いちぎってやる!」なんてことは、ないか(笑)。嘗ての映画”ウェストサイド ストーリー”で、リタ・モレノとジョージ・チャキリスがラテンを踊るシーンを思い出してしまった。
街には、ところどころこのような分かり易い案内板があった。もっともスペイン語しか表示がなく、あまり利用はしなかったが。
アトーチャ駅付近で見つけたガソリンスタンドの金額表示。レギュラーガソリンが、1.38€/L=172円/Lで日本よりかなり高い。日本人よ、ガソリン代値上げで大騒ぎをするな!
アトーチャ駅の傍にある、この”ソフィア王妃芸術センター(reina sofia)に行った。これ偶然、オイラの次女と名前が同じだった。ここには、ピカソ、ダリ、ミロ、タビエスら巨匠の有名な絵画が展示されている。6€=750円。
また、ここには、ピカソの有名な”ゲルニカ”が展示されている。フラッシュなしの、斜めからの撮影はOKだった。横に座っている女性が監視員。これ、1937年に、バスク地方のゲルニカで、ドイツ軍機に爆撃され、多くの市民が犠牲になったことを、ピカソが知り、同年のパリ博に、戦争への怒りと生命の尊重を表現して出品するために製作したもの。
同じく、ピカソの若い時の作品。なんと、こんな繊細な絵画も描いていたのだ。
最後にまたマドリードに戻った時には、プラド美術館の隣にあるリッツ・ホテルと通りを挟んだ反対側にあるディッセン・ボルネミッサ美術館にも行った。ここは、ディッセン・ボルネミッサ男爵が2世代に渡って収集した膨大なコレクションが展示されている。やはりピカソ、ミロ、ダリ、セザンヌ、ルノアール、ゴッホといった巨匠の絵画を観る事ができた。帰りは王立植物園に閉館時間スレスレで観て回った。ここはいわゆるイングリッシュ・ガーデン式植物園で、世界中の植物を観ることが出来る。
トレド(toredo)へ日帰り
マドリードから日帰りで、トレドにも行ってきた。スペインの誇る新幹線。RENFEという鉄道網。この線はトレドが終点。マドリードから約30分で着く。全席指定席で片道10.60€=1,325円。両側2席で、通路はやや狭い。日本の新幹線の車両より、幅は狭い。
ここは、首都はマドリードに移る前まで、政治・経済の重要な拠点であったが、今は「16世紀で歩みを止めた街」と云われている。トレド駅を降りると、街は見上げる丘にあり、バスで中心地に向かった。
イスラム教徒やユダヤ教徒が居座ったとも云われ、3つの文化が入り混じっているそうだ。中心にカテドラル(大聖堂)がある。またそれ以外にも多くのイグレシア(教会)がある。カテドラル内部は荘厳で、大変規模の大きい大空間だった。写真と帽子は禁止。
坂道の街なので、ヤワなオイラ達は、中心広場から汽車ポッポ遊覧交通(線路はなし)で、眼下に降りて、川越しから、見上げるようにこの街を観た。
駅に戻るには歩いて帰ったが、要所要所に外部エスカレーターもあり、そんなに疲れなかった。
ところで、スペイン瓦の正体を掴んだ。このように最初は素焼きの瓦なのだが、年月と共に瓦各所にコケが生え、カビが生え、風化し、このような斑な色合いに変わっていく。この斑になった色合いが、なんともいえない色彩を発するのだ。古くなればなるほど、スペインの建物に合う深い色合いに変わっていく。欧州北部の森林地帯では、これがシェイク・ルーフ葺きといって、レッド・シーダー材の板を手割して屋根材として打ち付ける。これが最初は美しいシーダー(杉)色をしているが、やがて風化して、いぶし銀のような色に変わっていくのを楽しむ。これ、日本では、不燃材としては認められず、一般地では採用をすることが出来ないが、これと同じような仕掛けの屋根仕上げとなる。
長くなりました。次記事では、セビリア(セビーリャ)滞在についてです。
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