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2010年10月21日 (木)

ちょっくら中国に偵察に行ってきました。大地に人と車が溢れていた。

高校時代からのポン友のイサ坊の案内で、青島から入ってシュ陽(シュヤン)という開発区街で二日過ごし、そこから南京に行き、30万人虐殺?記念館を観て、蘇州で休養、そこから上海に行き、上海万博を観て、翌日上海浦東空港から成田着で帰りました。

初めての共産党中国は、1980年にJCの青年の船で、天津・北京に公式訪問。その後、2000年に、ある会社の顧問で上海に数ヶ月滞在、そして2006年・2007年にイサ坊の案内で蘇州の観光とゴルフ旅行を楽しんだ。そして今回の視察・偵察と相成った。

このイサ坊の会社は、中国でフォトフレームやその他工芸品を作らせ、日本に輸入している貿易卸し商事会社。中国では当初蘇州に合弁会社を持ち、そこで製品を作らせて、日本に輸出していたが、そこの工場での製作に不満があり、これらを整理して、今年からこのシュ陽という田舎街で成長している深特工藝というメーカーと契約して、商品製作をさせている。田舎街と云ってもこのシュ陽県だけでも177万人の人口だから、その中心街はそれなりに大きい街区なのだ。蘇州の時もそうだったが、イサ坊は毎月半分はこちらに出張滞在している。

知恵子抄の「あどけない話」の「千恵子は東京には空がないという・・・・・・・」ではないが、この中国、北部・西部・南部の山岳地域を除いて、真っ青な空というのはほとんど観れることがない。地図上に日本列島とその領海を含めて丸々載せてみれば、すっぽり入って余りがある程の地域が、ほとんど平野地。日本列島の70%が平野ではなく山岳なのに対して、領海も含めた範囲が全て平野というのを想像すると、とてつもない大平原なのだ。

この地域は山岳がないので、山からの風が吹かず、気流がいつも滞っている。そこに、工場からの排煙やら、砂漠からの微粒子やら、霧も混じり、いつもスモッグ状態。台風もほとんど来ないので、気流の転換もない。雲がないのに曇り空(スモッグ空)常態。これが毎日続く。夜は月が透けて見えるのだが。

旅行ガイドの載っていることは省いて、オイラ流の感想を記しておきます。少し長い記事となります。

中国では、土地に関して民間の所有権は無く、国家所有か集団所有で、民間は使用権のみ。土地や建物も使用権として登記される。現在は「有償、期限付き使用権」となる。期限は一般住宅などが50年、工場などが70年。もちろん更新ありで何事もなければ、そのまま居続けられる。もちろんその使用権を担保として抵当権を設定することが出来る。

しかし、いわば国家優先の国だから、勝手に都市計画や再開発計画をつくり、そこの住民を追い出すことは法的には問題がない(立ち退き住民に対して補償制度はある)。だから街区の開発も短時間に理想的に実現する。莫大な用地買収費なんてのがなく、ほとんどが建設費に回せる(あと賄賂費)。

だからどの街の街区も、日本より幅の広い車線が片側2車線と車線と同じ幅の歩道が設けられている。日本のそれと比べれば、3倍から4倍広い車道となっている。交通ルールはメチャクチャで、歩行者、自転車、電動自転車、三輪車、乗用車、バス、タクシー、大型トラックが、皆われ先に突き進む。

そんなこんなで、交差点では一瞬こんがらがって、身動きがとれなくなる状態になってしまうことがある。交通信号を厳格に守るという観念は頭にないかのようだ。だから各運転手は、必死に運転している。日本のようにボーッとしていない。あっちでもこっちでもクラクションの音色を嫌という程聴くことになる。

青島(チンタオ)にて

青島の空港には、約300km離れたシュ陽から4時間掛けて、イサ坊が運転手2人従えて迎えに来てくれた。早速青島見学。まずオリンピックヨットレース関連で使われた海岸に出た。オリンピックに合わせて行われた「ウォーターフロント(水辺先・海岸先)の開発」で、一変したようだった。まるで、カナダのバンクーバーの海岸開発区のようだった。高層ビルが立ち並び、会場だった跡地には未だに誇らしげにオピンピックマークの看板が付いていた。もちろんマリーナもあったが、係留してあるクルーザーの数は少数だし、規模も小さい。ヨット用のバースには、ヨットは皆無。個人が趣味でクルーザーを所有するのは、法的に難しいのか?

(以下画像はクリックで大)

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若くない運転手と若い運転手。

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青島は昔ドイツの99年間租借地だった(租界ではない)。租借地と租界は大きく違う。

参考               租借地と租界についての違い

結果としては1897年~1914年の17年間がドイツの租借地だった。その後1914年から日本が占領して、1919年ドイツの租借権を公式に引き継いだが、1922年に中国に返還した。しかし1937から1945年終戦までまた再度日本が占領した。

ドイツは租借していた17年間に今の旧市街地(老街区)を中心に、現在の基礎となっている都市計画を作り、街区構成をした。西欧人お得いの丘を利用した傾斜地利用のリゾート街区だ。海岸沿いの開発もした。

今でも古い洒落た西欧建物が沢山残っている。築100年の西洋風住宅がぞろぞろある。今新しく建てている中国人による建物も、昔の景観を壊さないようなスタイルで建てられているようだ。

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その後、日本が占領したが、街区はそのままで、ドイツの都市計画も引きついたようだ。もっともそのころの日本軍は、中国国内アッチコッチで忙しく、腰をすえて都市計画などハルピンを除いてする余裕は無かった。

有名な青島ビールも1903年にドイツ人の手によって始められた。それを日本占領中は、大日本麦酒が引き継いで、終戦までビール製造をし、その後中国側に引き渡された。今でも中国市場1位のビールとなっている。一般にはアルコール度2.5%なので水代わりに飲める。

青島には、大きな軍港があり、この旧市街地にも海軍関係の学校や施設が沢山あった。オイラが事前に予約しておいたホテルに泊まった。Agodaで旧市街地のホテルの安いところを探し3室予約した。Agodaは事前VISA落し決済なのだが。案内サイトを見ると館内はクラッシクで、一室3,500円。しかし予約完了後再度調べると、なんとドイツ租借時代の刑務所をホテルに改造したホテルだった。施設の構内には、監獄博物館まであった。ワビサビを感じさせるホテルだった。

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夕食はこのホテルの庭にある個室で摂った。海鮮料理のレストランで、車エビ、シャコ、二枚貝、生カキ等の料理で食べきれないほど出た。この地域はこのような海鮮料理で有名で、特に夏は多くの観光客が集まるようだ。食後運転手に運転させ、新市街地にある歓楽街を車から見学した。まさに青島の六本木街といったところ。ホテルに帰っておとなしく寝た。幸い亡霊とは遭遇しなかった(笑)。

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青島からシュ陽へ

翌朝は、ホテルの朝食時間が7時半からと遅く、朝食を摂らないで出発。イサ坊曰く、そもそも若い方の運転手が、青島の道路事情が疎いので、もう1人若くない方の運転手が詳しいということで一緒に来たのに、両方とも方向音痴なのか道を間違ってばかりいるとぼやく。簡単な携帯ナビに頼っているのだが、あっちこっち行っても、また出発点に戻ってしまう。同じ出発点を3度も回った。

まぁ、落ち着こうと車道沿いにある野外食堂で朝食を摂った。なんだかよく分からない食べ物だったが、結構美味しかった。中国式クレープと揚げ物とスープ。面白いのはスープで、茶碗にスーパーのレジ袋みたいのをかぶせてあり、そこにスープが入れられている。少々飲みにくいが、これだと茶碗を洗わなくてもいい。合理的優先の発想なのだ。合理的発想といえば、大都市以外では、オムツ幼児のズボンの尻の部分は割れていて、お尻がモロ見え。早くオムツから脱却させるためなのか、オムツ節約のためなのか、外ですぐ排便が出来るようにするためなのか分からないが、関連として合理的なのだ。冬でも同じだとか。

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青島内の道迷いの苦難は、まだまだ続いた。東京駅に少し似た青島駅も3度見た。後部座席のイサ坊は、ブイブイ・ぶつぶつ怒りは頂点に達していた。なんでも青島空港に辿り着く時もそうだったとか。お陰でオイラしっかり青島の街中を見学することが出来、返ってよかった。

新しい高層分譲マンションが、これでもかというほど建設中。果たしてこれらは先々完売できるのか?ほとんどが投機買いだそうだ。工事も建物は完成しているが、外構工事はストップしている。また、あっちこっちで道路の拡張工事やら修繕工事等インフラ工事が行われていて、それが原因の交通渋滞もあった。また今まで無かった地下鉄も建設中でこれが完成すれば、かなり交通渋滞も緩和されるだろう。

やがて、やっと探しあえた高速道路の入り口も工事でストップ。そこに「帯路」と書いてある板をぶる下げたオジイが数人立っている。その中のオジイ1人を呼んで、車の前席に座らせた。これ道路案内を商売にしているそうで、大体20元(280円)ぐらいで次の高速道路の入り口まで案内してくれる。着いたらそのオジイはそこで別の迷い車を拾うことになる。こんな商売があるとはと感心した。

さて、やっと高速道路に入って、一路、「シュ陽」街区を目指して突っ走った。道路から見る景色は、一面平地でもちろん山はないから、トンネルもない。稲作田、畑とポプラやケヤキなど成長の早い雑木林が続く。大木はほとんどない。多分総面積は日本列島全土規模に迫るだろう。養豚場も多くあるようで、やたらに豚を満載したトラックが平行して走っている。ちょうどその豚トラックが事故ってひっくり返っている現場に遭遇した。豚も驚いたのだろう。ブイブイ吼えていた。豚死したのもいた。こんなのは、しょっちゅうらしい。

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一般にサービスエリアは、日本のように数多くなく、この間では一ヶ所しかなかった。小さな食堂も設けられている。一ヶ所屋台で今の季節の果物の柿・温州みかん・りんご・小粒りんごが売られていた程度。ところでオシッコを小便というが、同じく「ショウベン」で通じるようだ。ガソリンは、1リットルが6.34元(88円)と結構高い。

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やがて、高速道路から、シュ陽県の幹線道路に入る。ところで、中国では、行政区としては、大雑把に云えば、まず中央政府から始まって「省」⇒「市(大)」・「市(小)」⇒「県」⇒「鎮」⇒「村」となっていて、そのうち、北京市や上海市などは大きいので「省」と同じ扱いになるらしい。「鎮」はいわば「町」という感覚と見ればいい。もちろんこれ以外に「自治区」というのもあったり、大変複雑な区分けがされている。

中華人民共和国の行政区分

この幹線道路に入ると、伐採した雑木や苗木を超満載したトラックが行きかわっている。なかにはトラクターに超満載で、のろのろ走っている。そこを人・自転車・バイク三輪車が入り乱れて混在している。イサ坊は毎度なのだが、危ない!危ない!とブイブイ云う。運転手は平気で走りまくる。

昼時になって、途中の街で若くない方の運転手ご推薦の牛肉料理の食堂に入った。イサ坊は冷たいビールしか飲まない。一般に中国では、ビールは冷やさないで飲む習慣なので、ここでも冷えたビールはない。それに怒っての繰り返しはずっと続く。若い方の運転手はそれをよく知っているので、近所の店で冷えたビールをけなげに探しに歩いたのだが、やはりない。オイラ諦めてこのビールを飲もうと口添えをした。なんでも、ビールを冷やして飲むのは北米からの習慣で、本場のドイツでも、この中国でも、ビールは冷やさないで飲む。オイラはそれなりに平気で飲めるのだが。

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また、このイサ坊は、鶏肉はまったくダメ。ホルモンなどの内臓料理もダメ。エビやカニはこのごろ喰えるようになった。ヘビ・カエル料理なぞ一切、手を付けないというデリケートなのだ。そして、注文してすぐビールと栓抜きとコップが同時出てこないと必ず不機嫌になる。たしかに、中国ではルーズで、ビールが来ても、コップや栓抜きが同時に出てこないことが多い。

このイサ坊、高校・大学はラグビーで鍛え風貌は猛者だが、ネズミを見ると悲鳴を上げる程のデリカシーなのだ。そして、中国内では、なぜか韓国人やら中国人に道を聞かれるとぼやいていた。この食堂は骨付き肉やホルモン料理やらで、オイラは美味しかったが、イサ坊は手を付けられない料理が数あった。もう一つ、中国では、皿の料理を、日本のように、取り箸でとるのではなく、自分の箸でそのまま突っつくのが普通。スープも同じ。これがイサ坊は嫌いで、すぐ取り箸や取りスプーンを用意させるが、中国人は従わない。これが嫌でいつもブイブイ云う。まぁ、オイラもこの中国式の食べ方は好きではないが。

シュ陽にて

そんなこんなの道中で、やっとシュ陽に着いた。最初にイサ坊が今年から正式に取引を始めた「深特工藝品」社の支社に着いた。日本でいう同族会社で、本社が父親、長男と次男がそれぞれ支社の長となっている。イサ坊が取引しているのは次男の支社。彼は蘇州大学を卒業後、英国のマンチェスター国立大学院の国際経済学部を卒業したエリートなので、それなりに英語が通じる。その他の幹部は国内大学を出ているが、英語がほとんど通じない。まぁ、日本人の大学出のそれと似たようなところがある。

それぞれ3ヶ所にかなり大きい工芸製作工場を新しく建設してあり、そこで流れ作業で工芸品を作っている。特に中国ではリーマンショック以後、5年間に渡って約50兆円の財政投資をして、インフラ整備や、銀行の融資枠を強制緩和して、このような地方のメーカーにも融資を増やさした影響もあるのだろう。もっともそれらの1/3が不動産投機や株に投下されバブルになっていると云われているのだが。

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この会社は現在ターゲットを日本に絞っていて、シナ材、ポプラ材、桐材、ケヤキ材等の工芸製品を作って日本に輸出している。中国ではメーカーは、必ず商社を通さなければ輸出できず、昔は国営商社だけだったが、今は民間でも商社が作れる制度に変わったので、自社グループで商社も設立している。そこを通して輸出している。工場は広くて、現在の数倍ぐらいの製造にも可能なような余裕がある。

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イサ坊の会社では、製品検査要員として、専門会社から派遣してもらい、常時製品検査をさせている。その検査担当者はハルピン出身で日本語が流暢に使える。しかし日本には行ったことはないそうだ。ハルピンは美人が多いから、今度案内するから一緒に行こうと誘われたのだが。しかし後付けでハルピン女性は相当気が強いとも云っていた。

滞在ホテルの中華料理店で、会社側が歓迎夕食会を開いてくれた。次男社長以下幹部連中が6名程。何度も中国式カンペイを受けた。アルコール度の高い白酒(パイチュウ)を小さいリキュールグラスに入れ、目が合うごとにカンペイといって飲み干す。これを何度も繰り返す。結構酔いが回ってくる。皆、30代の若者が多くて活気がある。

次の日は、滞在ホテルを出て、イサ坊がこの会社から提供されているマンションの部屋に移った。面積は150㎡とかでゆったりしている。彼以外の人がいるときには、今回の若い方の運転手のカミさんが、手料理を作ってくれるそうだ。スリムでなかなかスタイルのいい女性。面白いのは数々の料理を中華鍋一つで全て作ってしまう。よく中国人は中華鍋一つぶる下げて世界を渡るというが、本当だ。水餃子・魚料理・野菜料理など全てだ。まさにマジックに見える。ここで、昼食と夕食の手料理をご馳走になった。

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ここの窓から眺めると階下に共同住宅が延々と並んでおり、スモッグ空で青空はなかった。

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オイラが関心を持っていたのはマンションで洗濯干しはどうしているのかだった。北米では洗濯乾燥機で乾かして外では干さない(禁止)。こちらでは一般に、出窓床スペースがあり、三方窓で囲まれていて、そこを干し場としている。奥行きは1.6m幅は3.6mといったところ。また給湯に関しては、洗面所に電気式の貯湯タンクが設置されていて、使用すると自動的に補給される。まぁ、いっぺんに浴槽に満たすと、次までは時間が掛かるようだ。

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その間、亭主の運転手が迎えに来て、一緒にここで昼食を食べ、車で郊外の植林地帯にあるゴルフ練習場に行った。広々としたネットのない練習場。平日なのか客は、ほとんどいない。ここで2カゴ程打ちっぱなした。

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この若い運転手は、陸軍隊に8年間いて退役し、会社の専属運転手をしている。軍隊の時は機関銃や機関砲をバンバン撃ったとか。因みに中国は徴兵制はない。安い給料でこき使われている。但しなんらかの技術を得るのには都合がいいらしい。社長家族とは遠縁で、次男社長と友人でもあるとか。公明党の高木陽介をもっと若くしたような顔をしている。いつも陽気で明るい。多分女性にもてるタイプと見た。奥さんが目を放せないのか、よく携帯が掛かってくる。

その後、シュ陽の繁華街に行った。アシとしては、タクシーかバイク式三輪車。タクシーの初乗り価格が、5元(70円)。因みに蘇州では10元(140円)、上海では12元(170円)と超安。この三輪車だと2元(30円)であと行き先を云って交渉だ。面白いから三輪車で行った。多少命の危険は感じたが。

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運転手がこのように女性はまれで、大抵はブスっとしたオジイが多い。標準語発音が通じないオジイも多いので、道を間違えることも多くある。

道路は各種乗り物で溢れ返っている。行政は電動自転車を普及させようと、免許なしで乗れるようにしている。

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繁華街には、まさに人々がウジウジと、もの凄い量で涌いていた。田舎なのでデラックスなデパートやスパーマーケットは少なく、屋外マーケットが多かった。歓楽街も見たが小姐(シャウチェ=ホステス)なしの一般カラオケ店(KTV)が多くあった。

南京にて

南京には、イサ坊が古くからの仕事の相棒にしているゴンちゃんとの仕事の打ち合わせと、この深特工芸品社の次男と幹部との紹介の為に行った。以前オイラもこのゴンちゃんとは、会ったことがあり、国営商事会社の営業社員だ。中国の会社では営業社員と云っても、かなり自分で独立して動けるシステムだそうで、自分の裁量で秘書や部下を持つことができるそうだ。

南京大学やその他大学が集まっている学校地域内の、飲食等サービスエリア内の中華料理の店で皆で昼食を摂りながら懇談をした。中国語なので全然オイラ理解出来ないので、ただただ食べるのみ。このエリアは新しく整備されていて、巧みなデザインの池を中心に構成されていて、まさに広大な学生ニュータウンだった。まるで米国の大学街にいるようだった。いやそれ以上かもしれない。

ここで、会社側の人達と別れて、ゴンちゃんの車で、あの有名な南京大虐殺記念館見学に行った。

正式名称は、「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。

イサ坊はいままで嫌で行かなかったが、今回は腹を決めていくことにした。ゴンちゃんも、オイラ達に気を使ってか、本当なのか、学生時代に必ず行かなくてならない時、その行った証明書のスタンプを妹が行った時に、ついでに押させて提出して、未だ行ったことがないとのこと。

これ、南京の街の住宅街の中にあり、相当なカネを掛けて建設されていた。ここがミソなのだが入場は一切無料。あっちこっちの壁には、「300,000」の文字がこれでもかと並んでいる。そして説明文は全て中国語・英語・日本語で表示されている。日本語表示があるののは中国広しといえどもここだけだ。それも大変正確な日本語で。

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当時南京の城壁に守られていたその街には、そんな30万人なんて住んでいなかったし、かなりが、城壁外に逃げていたのにと突っつきどころ満載なのだが。虚偽判明している2人の軍幹部兵による百人切りの件の、当時の東京日日新聞(現毎日新聞)の記事や、蝋人形での晒し首や生々しい強姦後と分かる女性の寝姿が展示されている。地中から発掘された数名分の人骨など現状維持で地面ごとの展示があった。

しかし不思議なのは、少なくても数千人・数万人の人骨が発見されたという形跡はない。どこへ死体はいったのだろう。また当時欧米の記者も沢山いたのに、数十万人を虐殺した、屠殺したなどの国際ニュースはなかった。そりゃ便衣兵はいたから、間違って一般市民も巻き添えになったかもしれない。しかし1937年の12月南京陥落から6週間または多くて2ヶ月の占領時に、そんな30万人もの屠殺は物理的に無理だろう。しかし数百人・数千人規模の犠牲者はあっただろうとオイラも想像がつくのだが。

この展示館の最後の方には、当時参加兵隊だったという数人の日本人の証言が詳しく展示されていた。これもあとから日本側で検証したら、この人物の証言はほとんどが虚言であったことが今や証明されている。これこそまさに虚言癖の売国奴と云われている。

腹立たしいのは、

日本からの要請と寄付

元日本社会党委員長であった田辺誠は1980年代に南京市を訪れ当館を建設するよう求めた。しかし当初、中国共産党は資金不足を理由に建設には消極的だった。そのことから同氏は総評から3000万円の建設資金が南京市に寄付し、その資金を一部として同紀念館が建設された。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。

なんと、建設に協力したのは、当時の社会党だった。そして鄧小平は1985年2月に南京を視察に訪れ、建設予定の紀念館のために「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」の館名を揮毫し、鄧小平の視察直後に紀念館の建設が着工され、抗日戦争40周年に当たる同年8月15日にオープンしたそうだ。

また、2006年には、1年掛けて敷地面積2.2ヘクタールから4.7ヘクタールに拡大して、施設も増設して2007年12月に再開して現在に至っている。だから旧社会党の面々は、記念式典には参列している。当時友党だった菅直人も、土井たか子と一緒に参列している写真にしっかり写っている。

まぁ、オイラは、この30万人という数字は、後から米国情報局と中国情報局との仕組んだ虚構だと考えている。米国に関しては、空襲や原子爆弾で数十万人に及ぶ屠殺された日本人の恨みを起こさせないため、中国側では日本人の弱みを、いつまでも維持させるためのでっち上げだと。だから中国は日本からの援助が滞ったり、増大させる時には、官製デモを起こしたり、とにかく政府と一体で騒ぎを起こす。いわば「パブロフの犬」のように利用していると考える。

蘇州にて

南京駅より蘇州駅へ新幹線(中国高速鉄道)で行った。車内は日本の車内とほとんど変わらない。一等車(グリーン車)で168元(2,300円)という安さ。日本でいう「こだま」便で途中3駅に停まる。その間約180kmを約1時間以内で結ぶ。道中、駅間中間では、瞬間、最高時速314kmを出している。まぁ、数分間だが。夜になっていて車内から景色が見えず残念だった。

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降りた蘇州駅は以前とは様変わりをしていた。現代的デザインで相当なカネが掛かっている。もの凄い幅広で、もの凄い長い階段があり、もちろん横には平行してエスカレーターがあるのだが、なぜか動いていない。しかたがなく重い荷物を持ちながら涙目で上って地上に出た。タクシー乗り場も長い列。その中を若造が割り込んでスルスルと最前列に。イサ坊がブイブイ怒っていたが、誰も文句は云わない。

蘇州はイサ坊が長年に渡って滞在したところで、オイラも一緒に2回ほど訪れている。彼の定宿ホテルに泊まった。時間があったので、日本式大浴場にいった。ちょうど「金玉良縁(笑)」という式場の隣にある、「水晶浴場?」という名前の施設。ここは軍が経営しているとかだそうだ。浴場や脱衣場にはやたらと多くの若い係員がいて、威勢のいい声を上げている。洗い場や大浴槽の造りも日本式。大きなテレビが2機掛かっていて、風呂に入りながら鑑賞できる。タバコも持ち込み可能。あと垢すり専用ブースもある。浴場から上がると彼らが背中をタオルで拭いてくれる。上階にはマッサージラウンジもある。

夕食はこのホテルの日本食料理店。午後11時になってしまい閉店間際に無理やり頼んだ。大トロの刺身がふんだんに出た。飲んだり喰ったりで1人350元(5,000円)だった。かなり中国としては高額だった。

上海にて

翌朝蘇州のホテルからタクシーで上海浦東(ブートン)国際空港内にあるホテルに直行した。所要時間約1時間ちょい、道路延長140kmでタクシー料金は500元(7,000円)だった。このホテルにチェックインして、今度は空港よりリニアモーターカーで終点まで行った。

浦東国際空港駅と上海市郊外の竜陽路駅の間、29.863kmを7分20秒で結ぶ。営業最高速度は430km/hである。料金は50元(700円)。

ここで地下鉄に乗り換えて、上海万博会場近くの駅で下りた。そこから歩いて第4番ゲイトから会場に入った。ゲイトは各8ゲイトあった。入場券は滞在ホテルの受付で買った。平日普通券で160元(2,250円)。前日(土曜日)の入場者の累計は約100万人だったとか。この日もウジャウジャ人が涌いていた。あの一番有名な中国館は5時間待ちの人の列。日本館もやはり4時間待ちの列。とにかくイサ坊と各パビリオンには入らないで、外観だけ見学しながら歩いた。約4時間会場内にいたが、日本人のカップルと遭遇したのは一度だけ。白人もスタッフ以外の観光客としては極まれだった。

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人の列は延々続く

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ただ一度だけ、ポーランド館の待ち通路がスキスキだったので駆け込んで並んで進んだが、コーナーを曲がったら、しっかり人の列が前方に。もはや後ろにも人の列で、いまさら後戻りが出来ないので仕方なく順路をだらだら進んだ。昔の日本人と同じで、混んでいるなかで、人にぶつかるのは平気なようで、少し不愉快になった。電車なども客が下りるより先に入ってくる。まぁ、この点は50年程前までの日本人と変わらないところだが。

会場内には、やたらに多くの中国武警が直立不動で立っている。一種の威圧なのか。それを見ているだけで面白い。パレードもやっていて、ディズニーパレードのパクリ風。しかし、もの凄くダサイ演出だった。10月末にこの万博は終了で、今はラストに入っている。当初あった列への割り込み等はほとんど見られなかった。タンを吐いているのも見なかった。かなりお客は整然としていた。躾け教育が行き届いてきたらしい。まぁ、160元払ってこの万博に来れる人は、あるランク以上の人達が大半だろう。一般従業員の月の給料が1,000元くらいが平均とか。

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夜になって会場を後にして、地下鉄で別の駅で降り、夕食の中華料理店を探し、そこで上海カニを堪能した。この季節から12月までこの地域の中華料理店では、ほとんど上海カニは用意しているらしい。今はメスカニでやがてオスカニが出てくるとか。しかし出されたのはオスカニだった。1匹150元(2,100円)と結構高価だ。伊豆の河津の名物モクズガニとほとんど変わらない姿と味だった。どこが違うのか分からない。

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あとこの店でイサ坊が間違って頼んだのが「臭豆腐料理」。突然辺りがクサヤ臭く(ウンコ臭)なった。ところが食べて見ると美味しい。おいらクサヤ大好き人間だから、肌が合ったのかもしれない。彼は途中で食べるのをやめた。

その後、歩きすぎて足が痛くなってきたので、健康マッサージ店に行った。背面マッサージが1時間100元(1,400円)、足マッサージが1時間70元(1,000円)の両方をやってもらった。これが上海でなく蘇州なら金額は半分だそうだ。

その後おとなしくホテルにもどり、翌朝はホテルから館内歩いてすぐの空港ラウンジに直行。3時間前にフライトのチェックインをして、あとは彼が登録してあるVIPラウンジで、無料で飲んだり喰ったりで、時間までくつろいだ。今は上海は虹橋(ホンチャオ)国際空港の第2空港が完成、そしてこの浦東国際空港も第2空港が完成で、昔のように混雑することが無くなったと彼が云っていた。確かに空港内はスキスキだった。

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終わりに

中国の理解の基礎は、まず言語だと思う。一般の現地での話し言葉は、各地全然発音が違う。例えば、上海は上海語、すぐ近くの蘇州は蘇州語、南京は南京語、シュ陽はシュ陽語というように、まったく発音言語が違い、双方では会話が成り立たない。そこで北京語に近いのが全国標準語となる。老人以外はこの標準語で幼少から勉強しているから、誰でも理解は出来る。この時点で皆、国内バイリンガルなのだ。

ちょうど我々が沖縄県の琉球語を理解できないと同じか、またはもっと理解できないくらい違いがある。だから、テレビの現地での取材で、現地人の喋るシーンでは、字幕スーパーが掛かる。そうしないと全国の視聴者は理解できない。文字に関しては、1950年代より繁体文字から、我々馴染みのない簡体文字に変わってしまったので、読めない漢字が多い。香港・台湾では繁体文字を使っているので、かなり理解度は高まる。

そして漢民族と合わせて13億人の多民族国家だ。だから一般の彼らは、自分の国内での情報理解で精一杯といったところ。興味も国内が優先となる。その点は米国民も似たようなところだ。外国に関心を持つのは、極一部の層の人々に過ぎない。日本に対しても、日本人が考えるほど関心をもってはいないことが多い。ただ時々中国政府が煽って多少関心を持つぐらいなのだ。あと、ネットに噛り付いている学生層は別次元なのだが。

同じ漢民族内でも、発音言語や習慣の違いから、いわば多民族的対立も発生する。日本のように全国民が一致してなんてことはないだろう。上海派と北京派は競っているので仲が余りよくないと聞いている。

その上、情報は行政府にしっかり管理され統制されている。インターネットにしても、検索は制御されているくらいだから。また独裁の中国共産党内の権力争いは壮絶なものがあるらしい。今の胡錦濤主席は、反江沢民派で日本に対しても穏健な方らしい。1912年の主席候補と云われている習近平は、どちらかというと江沢民派だと云われている。ただ未だに主席確定してはいなく、未知数が多いとか。

とにかく、中国はどん底貧民から、金満民までの格差はもの凄い。しかし、どん底貧民でもそれなりに生きていける。その所得でも超安く買えるところがある。5円・10円の世界がある。タバコ一つとっても、1箱3元(50円)から、700元(1万円)まである。もちろんこの最高価のタバコは一般に売られてはいない、いわゆる賄賂用で、もらった者はそれを別の賄賂に使い回すという循環をしているそうだ。それがグルグル賄賂回りをしている。だから実際には誰も吸ったことがないという笑い話まである。タバコは双方で勧め合う交友の武器で未だに健在なのだ。

食事も最低では5元(70円)もあればお釣りが来る。ビール中ビンが2.5元(35円)、缶ビールが1.5元(20円)で買える。ということはそれだけの大格差が地方だけではなく、都市部にさえある。片や不動産バブルで需要の数倍の規模で分譲マンションが続々建設されて、おびただしい数の棟が、投機対象か、それとも売れないのか、明かりの点かない真っ暗なマンションがより多く目だってきている。それが大都市部だけでは無く、田舎地方都市にも。だから不動産バブルが崩壊したら、かなり危険な経済状態になりそうだ。なんとなくそれが迫ってきているかのように感じる。

帰ってきてテレビで観たのだが、今回中国滞在中、西部の地方都市では、日本糾弾のデモ隊が大暴れをしたとのこと。多分発端は、政府筋のある派が、支援学生達を煽ったのが大きくなったのだろう。実際には反日というより、反日を掲げれば、政府は阻止しないだろうという口実に使われたのかもしれない(愛国無罪)。しかし中国のテレビでは、そのニュースは流れていなかったようだった。日本のマスゴミばかりが大騒ぎ。

ちょうどこの日は、日本マスゴミでは報道はされなかったが、東京で反中国の3,000人規模のデモがあったそうだ。一切日本のマスメディアは報道しなく、欧米の局では報道という不思議。カネを取っているNHKも一切報道しない。このあと、大阪、名古屋でもこのデモを繰り広げるとか。これに連動して中国政府は反応しているのか?

日本でも堂々と具体的に中国抗議デモをすればいい。中国経済は日本無くしては成り立たない。もちろん日本もそこに組み込まれているが。どっちみち今まで静かで受身ばかりの自虐史観でいた日本人が変わってきたことで、中国政府の方も方針を変えざるを得なくなるだろう。中国政府の脳味噌に合わせて、言いたいことはキッパリ云った方が、返って双方理解を深めることが出来るというものだ。これは韓国に対しても同じこと。彼らの国民性に合わせることも大事なのだ。

以上、今回は超長い記事のご拝読ありがとうございました。これで報告は終わります。

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コメント

追記ですが、
そのシュ陽のイサ坊の部屋のPCで、インターネットでこのブログを見たのですが、無事正常に見ることができました。しかし不思議なのが、ここに埋め込まれているyoutube動画が、枠線のみでいつまでたっても真っ白け。
もしかしたら、youtube動画は見られないよう規制がされているのかも知れませんでした。

投稿: オイラ | 2010年10月25日 (月) 21時06分

中国に関しては、人件費が安いだけの魅力ではなく、例えば、土地の入手や維持費や建設費が大変安いことが上げられます。所有権ではなく使用権なので、初期経費が大変安いです。多分日本でのより、数十分の一ぐらいのイメージです。ただし使用権を確保するには、面倒な手続きは必要ですが、賄賂で済ませます。

また、日本のように、資産税(固定資産税等)もありません。建設・建築費に付いても規制がいい加減なので、大変安く作れます。多分日本の1/5ぐらいのイメージです。

投稿: アイヤー | 2010年10月26日 (火) 14時44分

現在の日本は、良い意味で欧米のスタイルが定着している国民になっていると思います。

列で順番を守るマナー、出入り口では出る方を優先する。道路でつば・痰を吐かない等など。しかしさすがに女性を優先的にエスコートするマナーは、欧米には追いついていませんが。まぁ、私ども日本女性としても、あまり優先されると照れてしまってくたびれますが。

中国では、まだまだ欧米的・現在の日本的マナーは身についていないようです。これらは、非常に豊かさに比例するようです。あと民主主義に比例するように思えます。

投稿: 久美子 | 2010年10月26日 (火) 15時36分

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