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2010年8月 1日 (日)

日本は「デモクラシー国家」ではなく、根本的には「セオクラシー国家」なのだ。憲法改正により、そのクビキから開放される。

今日は、6歳の孫から、午後に海遊びの予約が携帯で入った。忙しい、いそがしい。

今日の「新報道2001」を見たのだが、民主党擁護派3羽カラス、幻冬舎の編集長の舘野晴彦、マニフェスト選挙推進者北川正恭、ミスター円こと榊原 英資が、枝野幹事長に元気ツケをしていた。

舘野晴彦って言葉明瞭なれど、偽善的匂いがプンプンするね。勝手に国民の代弁とやらをしてもらいたくない。

北川正恭よ、お前、昨年の今頃、民主党のマニフェストを絶賛評価していたが、今の事態をどう考えているんだ。一向にこの「マニフェスト(manifest)」を総括していないじゃないか。まぁ、あんたの商売道具の一つかもしれないが。

マニフェストって英語で2つ意味がある。「ニフェスト」って云ったら「船などの積載目録」、日本では、「産業廃棄物の管理票」。「マニフェスト」のアクセントで、選挙時の政権公約の意味だよ。イラ菅がG8で「ニフェストニフェスト!」ってコトバしたが、、オバマも他のトップ達も「船の積載目録」がどうしたのだろう?と訝っていたとか。この番組討論でも半数は「ニフェスト」だったというご発声のお笑い草。

重要な政治用語に横文字をつかうなって!

榊原 英資なんて、「この際、民主党はバラマキと云われようと、全マニフェストを実行しろ!国民の預貯金は1500兆円あるから、まだまだ国債には余裕がある。」だって。コイツ冗談でいっているのか?

さて本題

果たして日本は戦後から民主主義国家なのか。

オイラの結論は、憲法を改正出来なければ、日本は民主主義国家ではないとの結論になるのだが。

昔読んだ本にこんなクダリがあった。小室直樹と山本七平だったが。

民主主義の同意語英語はデモクラシー。ではこのデモクラシーの反対語の主義は?

小室直樹:そこで、いろんな人と議論する場合に、じゃ、デモクラシーが何か、おまえ知ってるかと聞くんですよ、新聞記者だとか、編集者だとかにね。学者もいますよ。そうすると、まず口を突いて出ることは、国民を大事にするのがデモクラシーだといいやがんの。そんな馬鹿なことないんであってね。いろんな思想がありますけども、国民を大事にしなくてもよいという思想がむしろ例外なんですね。

デモクラシーの反対は何か、という設問に対して、多くの日本人の口を突いて出る言葉は、まず軍国主義。この反応は、実によく日本人のデモクラシー観をあらわしています。しかし、論理的にいって、デモクラシーであるかないかということと、軍国主義であるかないかということは実はまったく無関係です。 では、デモクラシーの反対は何か。

ある人は、それはファシズムだといいます。果たしてそうでしょうか。これは、ファシズムとは何か、という定義の問題にもかかってきます。一口にファシズムといっても、ムッソリーニのファッショとヒトラーのナチス、これはとても同一視できないほど多くの相違点があります。独裁という点は共通ですけど、もし独裁者がいるのがファシズムだとすると、リンカーンのやり方なんかもそうなってしまいます。

リンカーンは、南北戦争の途中で人身保護令を停止するんです。そして、独裁に近い権力を握るんですよ。だから、いまでも南部の人のなかには、リンカーンは戦犯でファシズムの元祖だと主張する人もたくさんいます。 しかし、大多数の学者はそうは見ません。あれは臨時的な委任独裁であってデモクラシーに矛盾しないのだ、と。

委任独裁とは、国家の危機存亡の時に、国民が指導者を選んで、いまは大変な時だからお前さんひとつ独裁者になってくれということで、ギリシア、ローマ以来いくつかの例があります。ポイントは、危機が去った時に独裁を止めることです。

ナチスの理論によると、総統は国民から全権委任を受けたんだと。それはローマ時代の委任独裁と同じであって、決してデモクラシーと矛盾しないだけでなく、西欧流の堕落したデモクラシーではなく、これこそドイツ流のデモクラシーであるといいます。つまり、ナチスに反対の学者が、これはデモクラシーでないと論ずるのは勝ってだけど、ナチス自身はデモクラシーでないとは思ってないわけです。

だから戦後になって、ナチスの戦争責任が問われるでしょう。そのときにドイツ人が答えるひとつの言葉として、われわれは委任独裁を与えるつもりでヒトラーへの全権委任を可決したと。あれは最初4年間の時限立法だったのに、ヒトラーがあんなふうになってしまうとは誰も思わなかったといっているんですね。だからヒトラーが4年間でやめれば依然として一種のデモクラシーですよね。

つまりファシズムはデモクラシーの反対だというのは一つの説であって、そうじゃないという説もあり得るわけです。 これと同様な議論で現在でも重要なのは、共産主義・社会主義はデモクラシーであるかないか。西欧の学者は、ソ連や東欧諸国はデモクラシーではないといいます。たしかに、西欧型のデモクラシーのみをもってデモクラシーと考えればこの説は正しいでしょうが、これに反対する説もある。

すなわち、資本主義諸国はみかけの上ではデモクラシーだが、その実、独占資本の利益にすべてが奉仕するように出来ているので、人民の利益は省みられない。これに対し社会主義国では労働者独裁によって人民の利益が守られるようになっているのだから、これこそ真のデモクラシーである、と。

山本七平:ヨセフスはデモクラシーの対応としてセオクラシー(神政制)を置いてますね、テオクラティア。彼はデモクラシーといったような、ギリシア、ローマ的な考え方と、自分たちの考え方はどう違うか説明した。テオクラティアというのは彼がつくった言葉だそうですが、これはある意味で絶対主義なんです。神が支配しているんで、これに対して人間は一言もいえないんです。神との契約が絶対で、その契約内容が法ですから、その法を完全に行なうために、全員が死んでもしようがないんですね。

もし日本が滅びても憲法を守るという態度を日本人がとれば、それは世界史に類例のない「神なきセオクラシー」になるわけですが……。

小室:つまりヨーロッパにはそのような伝統があるんです。デモクラシーの反対は何かという設問における非常な緊張関係(シュバヌンク)。だからテオクラティアがデモクラシーの反対だとしますと、専制政治であろうと、貴族支配であろうと、人間が治める以上は全部デモクラシーになり得るわけです。

つまり、人間が法治的に治める以上、そしてそれを必要に応じて、いつでも国民の賛同を得て法を変えることが出来る状態であれば、デモクラシーなのだ。その反対語「セオクラシー(神政制)」とは、伝統絶対優先とか、神でなくても神のように絶対視しそれを死守する政治・マツリゴトということになる。そう誰も法を変えることが出来ない政治だ。

戦後、1946年日本国憲法公布後、65年になろうとしているのに、憲法の一字一句変えられない日本は、理由はともかく「神なきセオクラシー」主義国家ともいえる。こんな国は世界を見渡しても一国もないだろう。

時系列的に見れば、1946年とは米国の占領下だった。そしてその憲法草案は、少数の米国人の手によって作られたものだ。占領下で作られた憲法は、占領が終了後には、その憲法は破棄され、その国民独自の憲法をつくるのが国際的常識なのだが、日本はそれを「神=憲法」のごとく押し戴いてきた歴史なのだ。ドイツはしっかり独自の憲法に変えた。

TVタックルで、森永卓郎と名前は忘れたがションベン臭い小娘が、「この美しい憲法9条を守った結果であれば、外国が攻めてきて自分は死んだとしても、それはかまわないと。後世の人々はそれを賞賛してくれるだろう。」と云っていたのを覚えているが。こういう奴らが、デモクラシー主義者ではなく、セオクラシー主義者といえる。もっともこんな奴ら、その時点になったら、「死にたくない、国はなんとかしろ!」と吼えまくるだろうが。(もうこんな奴らテレビで稼がせるな!)

それでも、2年前か当時の安倍政権で、やっと憲法改正国民投票法が野党反対の中で成立した。この国は憲法改正の必須事項である国民投票法の準備さへ、60年すぎても整えていなかったのだ。まさにこの国の根本は、デモクラシー国家ではなく、セオクラシー国家だったともいえる。

さてとりあえず準備は出来たようだ。改正してほしい条文は沢山あるが、最初は一づつ挑戦するしかないだろう。

近々の課題として、こうも政権がクルクル変わる原因は憲法にある。衆院と参院による審議決議関しての両院制だ。ともかく与党は、参院で過半数取れなければ、毎回ねじれが発生して、首相・閣僚が代わることで処理するしかない。まさに参院は衆院のカーボンコピー。参院議員の任期も問題がある。日本で安定した政権が出来るのは、衆院で2/3以上を押さえたときと、衆参で与党が過半数を押さえた時しかない。これでは、また将来にも渡って、常に政局国会の運命なのだ。

米国のような大統領制ではなく、議員内閣制で、議決に関して二院対等な権限を持っている国は日本だけだろう。英国も、ドイツも、カナダも、実質一院制のなかで法律は可決される。もちろん体裁は二院制だが、中身は日本と全然違う。

首相がクルクル代わる、あーなんたる、素晴らしい日本国家。65年間も続けています。2010年6月23日 (水)

もし、責任を持った、少なくても長期の政権を維持させるなら、日本でも、参院での議決に対する効力を半減させるか、無くすかをしなければ、未来永劫クルクル変わる首相と内閣を続けなければならない。これは憲法を変えなければならない。議決に関して他の国のように、衆院1院政とすべきなのだ。

現在、民主党と自民党が合意すれば、これを変えることが出来る絶好のチャンスなのだが。それとも、議員や国民の皆さん、このクルクル変わり、世界から軽蔑されている、まともに相手にされない、日本の安定しない政権のままのほうがいいのでしょうか?

一粒で二度おいしいオイラのブログ:今日の画像

そして鳩山首相は、走って行ってしまった。

鳩は走ってしまった!

「ちんぽこ、茶色い!」

Chinpoco

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コメント

こんな考え方もありますな。ただ世界中のトップもこのようだといいのですが。日本だけなのです。

(以下引用)

例えば、鳩山政権が続いていたとしますと、普天間基地問題は、八方ふさがりとなり、泥沼化していたことでしょう(再び、雲行きが怪しくなってきています・・・)。

首相に就任した人物が、首相としての任に適さないことが判明した時点で、速やかに交代できることは、むしろ救いとなる場合もあるのです。特に、議院内閣制では、与党内の力関係や派閥の力学で首相が選ばれるケースが多々ありますので、首相の資質は未知数です。新たに就任する首相には、常に、未知数であるという不安要因がつきまとうのです。

 このように考えますと、日本国の首相交代の容易さは、不適任な首相に対する安全装置として働いているのかもしれません。民主党内では、9月の党首選に向けて党内が揺れているようですが、政権の長短にこだわるよりも、国民から委託された職務を誠実に果たすべく、首相としての資質や適性を基準として判断すべきと思うのです。

投稿: 暑い | 2010年8月 2日 (月) 09時42分

「暑い」さん

どんな時代でも100%完璧な首相なぞ現れません。
もし実在したとしたら、それは騙されていると見ていいでしょう。

世界中のトップとその閣僚は少なくとも
数年(4・6・8年)は続けます。
それは、嘗てのノムヒョンに愚かであっても
国にとって全てが悪いわけではないですからね。
国民は我慢しながらでも付き合うわけです。

日本の場合のようにクルクル変わるということは
全ての政策が1年未満で変わってしまい、持続性がないということ。
国家としての国際的人脈もできません。全ては中途半端に終わってしまいます。

これを延々続けているわけですから、
国としての損失は計り知れないわけです。

ベストなぞ存在しません。
ベターしか存在できないのです。

投稿: 陳湖臭 | 2010年10月 1日 (金) 14時29分

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