地域コミュニティーって何なの! 町内会について考える。結構面白い。
相変わらず、気象庁のお天気予報は、微妙なところは当たらないね。正確には当日予報にならないと当たらないことが多い。それでも時々外れる。数日前も曇り後雨だったが、晴天になり高温になった。昨日はやはり曇り後雨だったが、日中は晴天。今日は現在シトシト雨と曇りだから、やっと予報は当たったが後に晴天となった。
それだけお天道様を正確に予報するというのは、いまだに神業のように難しいのだ。20年後50年後の気象(温暖化?変わらず?寒冷化?)を予測することなんて、今の科学では出来ないと思うが。
例のCO2温暖化に関して「地球温暖化対策基本法案」・「低炭素社会づくり推進基本法案」・「気候変動対策推進基本法案」が、民主党の強行採決とその後の強引な国会閉会で、全て今国会では廃案になった。これに関して、オイラは大賛成だ。危ない危ない、もう少しでこれに関して国民の大負担が増えるところだった。LOOPY首相のCO2の25%削減パフォーマンスがもたらしたものだった。
臨時国会でどうなるか。秋頃には、IPCCがいかにCO2温暖化を煽るために、捏造した報告書を出していたかが、より問題になっていると予測するのだが。オイラはこれをも含めて、民主党政権打倒の気持ちだ。参院選挙で勝たせてはいけない。
さて本題。
よく、地域コミュニティーの活性化により、少子化問題、教育問題、老人問題の解決を計ろうと、知識人や行政や議員が延々と云っているが。オイラどうもピーンとこない。
まず、思い浮かぶのは、町内会だ。もちろんオイラの家も大昔から入っている。ウチの町内会は、760世帯で構成されていて、それがまた各組に分かれている。全部で現在12組ある。
1年間の事業は、毎月に1回の一斉道路清掃、夏季の一斉消毒、年2回の河川清掃、神社清掃、年2回の道路側溝清掃、1月の新年会、5月の町内ソフトボール大会、7月の町内神社の祭り、10月の町内体育祭、11月の文化祭、12月の防災訓練、盆踊り大会、お盆の百八体行事等々の盛り沢山。もちろんこれに総会もある。
まぁ、ほとんど全部参加というのは少なく、それぞれ予定や好き嫌いがあるので、好き勝手に参加しているわけだが。ただし月一回の回覧板の伝達はしなくてはならない。これ共同責任だからストップさせるわけにはいかない。家を長期に留守をする場合には処置をしておかなければならない。
オイラのところは、徴収金が、組費が年3,000円+町内会費年2,650円(平均)=年5,650円というところ。
これ以外に組内で出る葬式だ。5年ほど前にJAが斎場を造ったので、楽になったがそれ以前は喪主の自宅が原則だったから大変だった。通例2日間は専念しなければならない。その敷地にテントを設営して、また飾り物を作る。次の日は葬儀の後、火葬場で給仕、最後の精進落としの飲食会。まぁ、見方を変えればリクレーションみたいにも見える。まさに葬祭という祭りだ。だから、そろそろ数年内に葬式が出そうな家は、その前に実績造りをしようと、積極参加に励むことになる。みんな誰が参加したか、しっかり見ているからね。
しかし斎場が出来たお陰で、葬式時の町内の組の仕事は3割ぐらいに激減してくれた。
まぁ、全国特に地方・郊外は、大小はあれ、似たようなものだろう。大昔はもっときつかったらしい。行事に不参加が多かったり、揉め事が多かったりすると、やがて、やれ村八分だ、なんだかんだと、そこに住みづらくなって、別の地に転居するなんてのもあった。過去には多くの弊害もあった。
そのほかには、地域コミュニティーとして、消防団、老人会、趣味同好会、婦人会、神社の総代会、お寺檀家会、部農会、子供会、子供スポーツ親の会、集合住宅管理組合などなど、いろいろ盛り沢山ある。
最近テレビで知ったのだが、一時老人用のゲートボール会が大流行で、全国各地専用グラウンドまで造ってやって有名になったが。これがどんどん会員数が減って、解消してしまう例が多くなったという。なんでもベテランや古株がえばってしまって、新入りが「バカにするな」とやめてしまうことが多くなっているとのこと。
子供なら素直に聞いてくれるのだが、老人ともなると、海に千年、山に千年の猛者も多いので、こんなトラブルが多いのも頷ける。ましてころごろは、テレビでもこのゲートボールなんての取り上げないからね。張り合いがない。だからまた別のリクレーションが流行ることになる。まぁ、こういうのは短期的なものに終わってしまうことが多い。
数年前、仕事絡みで、カナダ・バンクーバーの郊外フォートラングレーという市に約1ヶ月滞在した。その時白人の家主に、ここでは町内会はどうなっているのか?回覧板はあるのか?その他、地域管理の例えば河川清掃、道路清掃なんてはどうなっているのかと聞いた。家主:「・・・・・・・・・・・・???」聞いたらそんなものは無く、市役所とのミーティング(集会)が定例的にあり、その時様々な注文を市側に出し、また市からの説明も受け、直接市と一体でやっているとのこと。それが、カナダでは普通で、多分米国でも同じだろうと。
「それじゃあ回覧板なんてのあるの?」家主:「・・・・・???」 「じゃ、市行政からの情報は?」家主:「それは、月2回ある市主催の集会で説明とプリントを貰う。もちろん隣家が欠席なら、その分も貰って且つ説明を伝達するが」ということだった。
日本の場合、市⇒町内会会長⇒町内会⇒市住民。また市住民⇒町内会⇒町内会長⇒市に対して、アチラでは市⇔集会⇔市住民という構図になっている。
オイラの町内では、建設会社の社長(のちに会長)が25年間も町内会長をやってきた。たしかにしっかりやってきてくれたが、公共工事を取る優先度は自然に上がる。いわば顔役になれる。半分は自分の会社の営業も兼ねているから出来たようなもの。さすがに、密かなざわめきにより、今年から会長は変わった。
そこで、町内会について調べてみた。(WIKIより)
町内会(ちょうないかい)は、日本の集落又は都市の一部分(町)において、その住民等によって組織される親睦、共通の利益の促進のための任意団体・地縁団体とその集会・会合である。
それぞれの町内会等は、近接の別の町内会等と共同で「町内会連合会」などと呼ばれる連合体を組織していたり、「地区」・「自治会」などと呼ばれる上位団体を持つ場合がある。多くは法人ではなく任意団体であり、加入は義務ではない(自治会加入者区域にありながら商店会を構成しそちらに参加する商店街もある)が、その地域の全世帯が加入しているケースが多い。
町内会ってのは、必要が無いと思えば、加入しなくてもいいし、法的には何の束縛もない組織なのだ。だからよくその町内に集合住宅を造ろうとすると、町内会が大口寄付を寄こせだの、戸数分の町内会費を納めろなどと要求をすることが多い。これは明らかに間違っていると思う。穏便にしようと事業者はほとんど従うが。
町内会等の活動として、古来の集落共同体(農山漁村、街区)との関連から神社の祭礼に参加したり、お互いに葬式の手伝いをしたりする地域もある。神社・仏閣の管理を行っている町内会等では、宗教上の理由により入会を拒否したり、信教の自由に反して承諾なく会員にされたとして提訴するケースも発生している。
また場所によっては神社の管理を行なっている事例、道路・公園等の清掃やゴミ拾い、親睦・交流目的の催事を行う場合も多い。これらはその集落・町の歴史や居住形態、就業形態がよく反映されている。
オイラのところは、神社のみで仏閣は関係ない。また宗教的理由(創価学会等)は一切神社の祭りやその寄付金は付き合わないようだ。だから祭りの寄付金集めも多少配慮が必要になる。祭りの会計はもちろん別会計としている。
単身者・共働きが多いアパート、マンションの場合、未加入の者も多い。家族で居住している場合、加入を勧誘すると応じる場合が多いが、単身者等の場合、不在がちな世帯も多いため、加入の勧誘を断る者が少なくなく、加入率は低くなっている。
この他、市区町村によっては、自治体事務の委任(下請け)で広報紙を町内会等が配布したり、自治体行政の下部組織(地区長、区長など、自治体により名称が異なる)に町内会等や、その連合体から人を送るケースもある。
こうした場合、町内会等の長が地区長を兼ねるケースや一部では公金による報酬支出など事実上自治体組織に属するケースもあることから、町内会の「自治」という観点から批判もある。
回覧板ってのは、「自治体事務の委任(下請け)で広報紙を町内会等が配布したり」が根拠になっているんだ。しかし会計報告書を見ると、回覧板については、市からの補助金はついていない。広報通信費とすれば結構な金額になるが。防災備品、防犯灯電気代、体育祭奨励、町内公園、祭典等に市から補助がある。
元々は日中戦争の頃から日本各地で組織され始め、太平洋戦争の戦時下に大政翼賛会の最末端組織として1940年に市には「町内会」、町村には「部落会」が国によって整備されたのが起源であるとされる。戦時下には内部に「隣組」があった。
戦後、日本国憲法の施行に伴い1947年5月3日いわゆるポツダム政令15号が公布され、「町内会」、「部落会」、それらの「連合会」等の結成が禁止されることになった。
サンフランシスコ講和条約の発効に伴いその半年後の1952年10月25日に5年半ぶりに禁止が解かれると、自治組織として再組織化されるようになり、今日まで続いている。ただし、当該解禁以降、一部の省の訓令には事実上の存在として「町内会」の文言の登場例が数例あるものの、国民一般への法的拘束力を有する法律・政令・府省令には町内会に関する規定が全くなく、行政組織(国及び地方自治体)とは法的に無関係な存在となっている。
1940年の国家総動員法によって、正式に整備されたとか。この法律の影響は今でも様々に、国民生活に関係するところで残っている。また戦後、占領下では、禁止だったとは知らなかった。オイラが「ご幼少」のおりには、「町内会」ではなく「部落会」と云っていたのを思い出した。
滋賀県甲賀市の希望が丘自治会が自治会費に赤十字や共同募金への寄付分を上乗せして徴収することを決議したことを巡って争われた裁判で、最高裁第1小法廷は2008年4月3日に自治会側の上告を退け、自治会費への寄付分上乗せは寄付を強制するもので無効とした大阪高裁の判決が確定した。
自治会による寄付集めを巡っては、自治会費への上乗せのほかにも班長などの役員が寄付を集める集金活動を強制され、断りにくい自治会の戸別集金で事実上寄付を強要されるなど、各地で問題になっている。
いつの間にか、オイラの町内会も、決算書を見ると、組として「赤い羽根共同募金」「歳末助け合い募金」町内会として「赤十字募金」「緑の羽根募金」が一括寄付として出されている。これらはどのような経緯でこうなったのかは知らない。まぁ、完全に全国システム化されているようだ。知らない内に寄付をさせられている。これら募金団体の公益法人は果たして、募金をする側の善意の意向どおり運営されているのだろうかと疑問が湧く。「日本ユニセフ」とか「あしなが基金」とか最近、問題も挙げられているからね。
で、これら町内会組織というのは、東アジア・東南アジアに多いらしい。中国では「居民委員会」、韓国では「班常会」、フィリピンでは「バランガイ」、インドネシアでは「RT/RW」、その他があるらしい。ということは、非常にアジア的組織らしい。少なくても、北米にはないものだ。
「猫の集会」というのがある。あるエリアに住む猫達が、夕方になると集まってきて、ただ黙って数十分集まってその後解散をするという習性があるそうだ。何を考えているのか分からないが、エリア内の同類を確認しているらしい。これをすると猫のココロが落ち着くそうだ。人間というのも多少その習性はあると思う。
同じ地域といっても、もはや、日々顔を会わす機会が無くなり、ほとんど家に閉じこもってしまうようになったこんにち、新年会や祭りや体育祭や町内の共同作業で再会する。酒を酌み交わす。そしてそれはあくまでも自由参加。参加したくなければ、堂々と参加しなくてもいい。この程度が一番いいのではないか。
よく「孤独老人の死」で、大騒ぎになるが、もしかしたらその老人は一人静かに死にたかったのかもしれない。大騒ぎになるのは後始末が大変だからではなかろうか。だから簡単に「可哀想に!」とかのマスゴミの世論作りには組したくない。
行政が、NPO等が、知識人が地域コミュニティーの活性化なぞと云って、また新たな義務や強制をさせられるのは御免だね。オイラ達はそのために市税を負担している。北米等で教会を中心とした活動はまた別次元のものだろう。
オイラの考えは、北米の「市⇔集会⇔市住民」のほうが直接的で興味がある。市議会議員は当てにならないからね。ここ数年日本で流行っている「タウン・ミーティング」の原型だ。ところが日本では慣れていないので、ヤラセ等で問題になった。
本来、市の行政でやるべきことのいくつかを、市民に労役を課しているとも云える。市税を払った上に労役までと言うことになる。そして市役所職員は高待遇と云うわけだ。
町内会の労役分を地元業者に、割り振れば、乗数効果も高くなる。その分は市職員の給料カット分から、支出すればいい。日本全体が大変貧しい時ならいざ知らず、ここまで向上したら、もう「町内会で縛る」ってのも無くていい時代になっているのかもしれない。この「町内会」はかなり形骸化してきているように思える。しかし無くすと、住民の拠り所が無くなってしまうような気もする。まぁ、そこが難しいところだ。
今もそうだが、新しい組織つくりも増えている。そちらで忙しくなれば、人々のココロも移っていくだろう。 「町内会には、法的に入らなくてはいけない」と誤解している人々がいかに多いかと驚いたことがある。そして入っていない人に、多少のひけ目をもっている人も多い。
他の自由離加入の組織とたいして変わらない。ただ歴史が長いだけ。市行政も便利な組織だから間接的に援護して、自分たちの負担を少なくしているだけなのだ。
はたして「町内会」という中間があったほうがいいのか、ないほうがいいのか。どこかの市または町で実験的に出来ないだろうか。
一粒で二度おいしいオイラのブログ: 今日の画像
町内会にはイロイロいるんだよね。
あんなのがいたり
こんなのがいたり
嫌な奴がいたり
好きなのがいたり
左党がいたり
のんべがいたり
スケベがいたり
どうでもいいのがいたり
それはそれで、結構おもしろいものだが。
| 固定リンク
コメント
「おバカ教育の構造」(阿吽正望 日新報道)を読まれましたか。現在の学校教育に、子供の人生を壊される恐怖を感じませんでしたか。デタラメな文部科学省の政策に、腹の底から怒りがこみ上げてきたのではないでしょうか。
私たちは、すべての親に、この本を読むことを求めています。教育を変えなければ、子供の人生も、私たちの人生までも壊されてしまうと分かったからです。
多くの人に読んで頂き、政治家や教員に呼びかけて欲しいのです。事情あって匿名ですが、同じ思いを抱かれましたらご協力下さい。
愚民化教育を行い、民主主義を破壊し、米国従属、格差社会、社会荒廃を作り、子供達を引きこもりワーキングプアにした「自民党・官僚政治」は、生き返らせてはいけません。
投稿: なでしこ | 2010年6月28日 (月) 09時06分
鵺のような政党に政権を任せられるか?
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2010/06/post-0de7.html
民主党はなぜダメなのか?
それは、党の綱領がないからである。
政党とは、共通の政治理念を持つ政治家の同志的集団である。
そして、その共通の政治理念に基づいて定められた具体的な政治目標が綱領である。
そこでは、党の基本的な性格、政治的な立場、根本的な精神などが明らかにされる。
ところが民主党には綱領というものがない。
綱領がないから理念のない政党になるのか?
あるいは、理念のない寄せ集め政党だから綱領がないのか?
おそらく後者であろう。
つまり民主党は、「選挙協同組合」なのである。
投稿: 梅雨空 | 2010年6月28日 (月) 10時48分