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2010年5月17日 (月)

続:宮古島・沖縄本島の普天間や首里城や・・・・・あれやこれ。

今回の旅の前に、例年より早く沖縄地方は梅雨に入ってしまった。宮古島では雨には見舞われなかったが、快晴の瞬間は短く、いつも雲空でどんよりしていた。こちらの冬はどうなんだいと、その級友に聞いたら、温度はそれなりに本土より高いが、風の強い日も多く、体感温度では寒い日が多いと言っていた。それこそジャンバーを着て外出するような状態だとか。室内でもコタツが欲しい時が多いそうだ。

正式には、ここは温暖湿潤気候地帯に属し、ここから南西130キロの石垣島のように熱帯雨林気候地域ではない。もともとサンゴ礁・石灰岩の島なので、雨水・生活水はみな地下に浸透するので、川がない。だから宮古島の海は、川からのドロ水も生活用水も入り込まないので、海の透明度はすこぶる良いのだ。

観光産業に関しては、石垣島の方がより観光開発が進んでいて、やがて石垣島のように観光で追いつきたい願望もあるそうだ。数年後には、平良地区から沖合い5キロにある大きい島の伊良部島とを海上大橋(伊良部大橋)が完成する、。すると一体となっている下地島とも繋がり、観光開発もより進むことになる。この伊良部島も未開の景勝地が沢山ある。

下地といえば、

このごろよくテレビでおなじみの国民新党・下地幹郎(ミキオ)衆院議員(沖縄1区)はここ宮古島平良地区の出身。自民党からの離脱組だ。当選4回。以前は宮古島等は沖縄1区に入っていたが、2002年の区割り変更で、この地域は沖縄4区となり、彼の選挙区ではなくなったが、依然として土建屋議員としての彼の腕力にすがっている。ちっちゃな田中角栄かもしれない。だから、普天間基地移設に関して、辺野古の陸上案に固執する理由も理解できる。

↓ 池間島に繋がる海上架橋(池間大橋)

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↓ 現在建設中(2012年完成)の伊良部大橋(現在工事用の仮設橋が架かっている)

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沖縄地方はここ宮古島も含めて、ほとんど木造の家屋はない。鉄筋コンクリート造(RC造)で建てられている。もちろん大昔には木造がほとんどだったが。これは台風が多く、強烈な風から守る為にRC造となって行った。また沖縄地方全体として、木造を喰い荒らす強烈なシロアリの存在からだ。中にはコンクリートさえ喰ってしまうシロアリさえいるそうだ。

デザイン的にも、どうしても中国南部や台湾にある民家に似通ってしまう。東南アジアに来ているような雰囲気。級友の自宅は20坪しかないが、デザインセンスは都会的デザインで、彼が絵を描いたそうだ。不動産が直ぐ売れたのもそんな関係かもしれない。なんでも買主は関西地方の老夫婦だそうだ。

沖縄地方の死生観

オイラのポン友が、墓石店の社長なので、その影響からか、なんとなく墓にも興味がある。道中、墓場が多くあり、写真に収めた。

↓ 宮古島での墓場

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この通り本土の一般の墓とまったく違う。これは前から気になっていた。台湾に行った時に見た墓場と似ている。そういえば宮古島で寺を見つけることが出来なかった。あることはあるらしいが。

最終日に、沖縄本島にある首里城跡地公園にいったら、これらについて詳しく説明がされていた。結論は、徳川幕府に出来た、キリスト教を排除するため厳格化された檀家制度の影響を受けていなく、それまであった死生観というか宗教というか、それを伝統的に守ってきているということが分かった。

そもそも、江戸時代には、沖縄は琉球王朝だったわけだから、本土の施政の影響外だったわけだ。そこでこの辺について調べてみた。

オイラの家は代々浄土宗なのだが、葬式仏教として檀家になっている。寺からの金の徴収には、時々頭に来ることがある。しかしご先祖を人質に取られているようなものなのでで、しかたなく脱退はしていないというのが現状だ。

このルーツを探ると、徳川幕府の行った檀家制度にたどり着く。

檀家制度  (抜粋)

徳川幕府はキリスト教を禁止し民衆を支配するために、「檀家制度」を設けた。人々は必ずどこかの寺院に所属し、寺に人別(戸籍)を登録するという制度である。「寺請制度」ともいい、寺院が発行する寺請証文(檀家であることの証明書、戸籍謄本にあたる)がなければ、就職も、旅行もできず、生活できなかった。証文の発行を拒否されると「帳外れ」(宗門人別帳に記載されないこと)と差別され、それは、社会的な抹殺を意味した。  

“村八分”、ひいては「邪宗門」の疑いをかけられ、時には死に至るような過酷な追求がまっていた。このため、住職の権限は絶大となり、檀徒はひたすら隷属するしがなかった。檀家総代であっても、寺の行事に参詣しないときには、戸籍を抹消し、厳しく追及せよ、と定められていた。  

要するに檀家制度の本質は「寺院が権力の出先機関」になったことである。寺院そのものが権力化し、僧侶は「民衆の支配者」となった。    

「僧侶による葬儀」もこのころ普及  僧侶には、檀徒の死後、死相を見届け、檀徒に間違いないことを確認して、戒名を授け、引導を渡すことが義務づけられた。民衆からいえば、葬儀の際、所属する寺院の指図を受け、必ず僧侶を呼ばねばならなくなったということである。

僧侶を呼ばなければ、キリシタンの疑いをかけられ、極刑に処される恐れすらあった。いまだに、一般に、葬儀には僧侶を呼び、引導を渡してもらうことが慣習化しているのは、江戸時代の檀家制度の名残なのである。  

葬儀そのものが、本来、仏法とも、成仏とも、無関係なのである。

徳川幕府は、「自讃毀他(自分の宗旨を褒め、他宗をけなすこと)」と、法論を禁止した。そのため、布教しなくなった仏教各派は、信徒をつなぎとめ、寺院を維持するために、葬儀の執行、年忌法要と塔婆供養の奨励、盆と彼岸の墓参りの徹底などを行った。僧侶は、法要のたびに信徒から供養を受け、裕福になっていった。

民衆は、たび重なる僧侶への供養や、寺院の修復・増築のための布施などの負担に苦しんだ。僧侶批判の諺今も残る、僧侶批判の諺には、民衆の強い不満がこめられている。「坊主丸もうけ」「憎い坊主の布施好み」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」「布施の分だけ経を読む」「経も読まずに布施を取る」「地獄の沙汰も金次第」などである。

民衆は、僧侶から利用され、搾取される対象でしかなくなった。個人の信仰心は失われ、仏教各派とも、葬式と法事が専門の「葬式仏教」となり、葬式坊主となっていった。檀家制度の内実は仏教を利用した「経済的収奪」にあった。

そうなんだよね、一般には何も考えず、ただ昔からの習慣だと引き継いでいるが、日本の長い歴史から見れば、江戸時代というごく最近に、それもその当時の施政から定着したものに過ぎないのだよ。市の住民課のような、課税化のような、警察のような。釈迦本人は、「人間の死後について、考えるな!」と。「ましてそれを言わば商売とするようなことは、慎むべし」とも言っている。当時インドでの宗教バラモン教を批判したものだ。

前置きが長くなったが、首里城の見学で、琉球人の信仰である「御獄(うたき)」というのを知って、本土との死生観に関する違いを理解することが出来た。これは、檀家制度によって本土人が思考停止になって慣習化してきたが、実はそれ以前の信仰とかなり似ていたのではないか。もっと大昔に遡れば本土の「卑弥呼」の時代まで繋がるかもしれない。

沖縄の死生観に関する信仰

 御嶽(うたき)は、琉球の信仰の宗教施設である。「腰当森(くさてむい)」、「拝み山」などともいう。琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称で、それ以前はさまざまな呼び名が各地方にあった。

この呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々で発声されるが、宮古地方では「すく」、八重山地方では「おん」と発声する(近年では「うたき」への傾倒がみられる)。

起源

御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。その証左として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。これは、祖先崇拝であることに強く関係していると考えられる。

また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いをされているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。

グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々は御嶽を中心にした集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。また、首里城、玉城城など、城そのものが御嶽とみなされていた城もある。

現在では

現在も琉球の信仰は地域に根付いており、御嶽はその信仰の中心となる施設として、地域に手厚く保護されているものも多いが、放棄され、存在自体不明のものもある。著名な斎場御嶽や園比屋武御嶽のように観光資源化している御嶽もあるが、それはどちらかといえば稀な例であり、多くの御嶽は、現在も地域の人々(女性)や、そこを管理するノロによって管理されている。

御嶽はほぼ年間を通してたびたび行われる地域の様々な祭事の中心となるばかりでなく、東御廻りや今帰仁上りなどの巡礼地として崇められているものもある。

また、米軍による土地接収や、発掘調査や再開発で立ち入り禁止になったり、潰された御嶽もある。例えば、首里城敷地内にあった十御嶽のいくつかは、現在の首里城再建以前には信仰者が来訪することができたが、再建に伴って進入禁止とされ、埋め立てられるなどしている。

 ↓沖縄本土の名護付近の墓場

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だいたい墓の敷地は4畳から8畳ぐらいか。例外もあるがほとんど日が沈む西向きが正面となっている。火葬の普及と土地の関係でだんだんコンパクトになって来たそうだ。

こうした墳墓は沖縄県の他に台湾、香港、中国本土では福建省など中国南部に多くあり、大陸からの伝播ではないかと見られている。

古来日本列島全体に風葬の習慣があったが、沖縄県ではこの習慣がこの墓と融合し、死後数年間は遺骸を石室内に放置し、数年後に親族(特に長男の嫁)で洗骨して改めて骨壷に納骨して石室に収めることから、石室内部は広く設けられている。

近年では沖縄県でも本土同様に火葬するケースが多くなっていることから、小規模な亀甲墓も見られるようになってきており、集合霊園に骨壷が納められる程度の小さなものが設置されることも増えてきている。

春の彼岸には、各地で馳走を用意して、その家の亀甲墓の前で歓談しながら食事をしたり飲酒をしたりする習慣(清明祭)が残っている。

まぁ、現在ではほとんどが火葬にされるので、昔のように長男の嫁が洗骨して・・・・・ということはなくなった。なにも知らない本土からの嫁では絶対務まらないだろう。オイラの嫁だったら、必ず家を出て行く。

起源仏教には本来なかった先祖供養という信仰。これが沖縄も含めて日本の死生観の信仰に共通するものだろう。ここに尽きる。余談だが、沖縄に上陸した米軍は、この墓をトーチカと間違えて爆破攻撃したそうだ。

普天間基地

最後の二日間は、沖縄本土にいて、レンタカーで普天間基地の周りをうろついた。ちょうどその日は、訓練は無かったのか、ほとんどヘリコプターの離発着はなかったので、大変静かだった。

危険と云われる周囲の場所には、どんどん新しい住宅やアパートが建っているこの不思議。ここは、全域、海岸沿いの国道からは、小高い丘陵地にあり、ナビを見ながら回った。小学校あり国際大学あり、保育園ありだ。歓楽街はここにはなかったが、那覇の国際通りの方がその役目を果たしてきたのだろう。

テレビ報道・マスゴミでは、米軍基地は出て行けと、これが沖縄県民全体の悲願だと、大騒ぎなのだが、活動家以外は、もっと冷静に、現実的に考えているような気がする。直ぐの日曜日(16日)には、この基地周囲に雨のなか1万7千人が鎖の輪を造って、基地反対のアピールをしたとの報道がされていた。また嘘つき村が始まった。

あの付近には、1万7千人が集まれるほどの駐車場はない。多数が手を繋いでいるシーンがテレビに映っていたが、せいぜい数百名いるかいないか。自分達のアピールをするのは良いことだが、人数を大幅に嘘をついて、でっかく見せようという胡散臭さは、いい加減にして欲しい。

11万人集会⇒せいぜい3万人程度。9万人集会⇒せいぜい2.5万人程度。本土や海外は現地の様子が分からないことをいいことに、そのキーワードが一人歩きしてしまう。左翼活動家専門のやり方だ。またそれにマスゴミやテレビ報道が思考停止で追従する図式は相変わらずなのだ。

こんなのばかりだから、沖縄県民は、過去と現在の悲惨さを売り物にして、国からの経済投資をオネダリばかりしていると誤解されて来ている。米軍基地が現在も沖縄に偏在しているのも、過去からの経緯と、台湾・中国・南北朝鮮を睨んだ地政学的最適地だからだ。

沖縄本島も、20年前来たときと比べて、もの凄い都市化、海上大橋・道路網等のリゾートインフラが進んでいる。人口も約138万人の拡大をしている。沖縄振興策のお陰だろう。また特定免税制度もまだ生きていて、沖縄在住の人も、品物は限られるが免税の恩恵はある。輸入牛肉も安いので本土より豪快なステーキも食べられる。オイラ今回、「ビックハート」と「サムズ・セイラーズ」でタップリ血の滴るステーキを廉価で食べてきた。これらも、いわゆる沖縄振興策ってやつだ。

ここのところ、中国からの観光客も大変増えているようだ。中国からのパッケージツアーが多いので、各ホテルは宿泊料を相当安く提供しているようだが。首里城にも沢山来ていた。ただ、沖縄はハワイ・グァムなどのリゾート地と何か雰囲気がイマイチなのだ。何か暗い。どうしても過去の悲惨さのみ目だってしまって、非日常空間のロマンス溢れる気持ちになれない。グァムにもハワイにも自国だから米軍基地の広大なのがあるが、それを感じさせない何かがあるのだろう。

その点を沖縄の知人(過去の青年会議所JCの仲間)と話したが、悲惨さばかり訴える、左翼系活動家にはうんざりしているとのこと。取り合えずは米軍基地と共存でも、もっとお客を夢心地にさせるような、観光リゾート地にしていきたいと話していた。

今回の宮古島への航空運賃は正規料金では羽田から往復7万~9万円。那覇でも同じようなもの。ホテル込みのパッケージツアーで往復4万円前後であるそうだ。その代わり便が特定され、変更がきかない。乗れなければおしゃかになってしまう。まぁ、外国のパッケージツアーでも同じだから、このようなツアーで行くのがベストだろう。オイラが若い頃の昔は延々長時間かけて旅客船で行ったものだが、今や便利な旅客船便は、ほとんどないとのこと。もうそんな時代は通り越して、空路で来るお客しか対象とはならない島々なのだ。

一粒で二度おいしいオイラのブログ: 今日の画像

南の島に日が沈む

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首里城にて、沖縄古典舞踊

無料で見学出来た。能を観ているような踊りだった。

オイラとすると、もっと賑やかなのが観たかった。

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那覇の国際通り。雰囲気は昔と変わらず。

平日なのに多くの観光客が集まっていた。

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それに連なる、市場通り。ここで今流行りの石垣ラー油を5個購入。

店番のばあーさんと交渉して、値引き+黒砂糖付きで成立。

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コメント

またかりゆし着てたな。かりゆしの意味はどういうことだい?わかってるかい?

・・・だから、わかってないって言われるんだ。うわべの沖縄理解じゃ駄目なんだよ。辺野古住民の9割は賛成しているのに全く書かない軍事アレルギーの極左マスコミが集う沖縄も問題だけどな。

あの左翼のジジイどもは、沖縄のことなんか考えてない。テメェらのできなかった”闘争”とか言う奴を沖縄でやっているだけだ。要は自己満足の世界だな。だから、左翼のジジイとかろくでもないって言うんだよ。なんで沖縄基地反対に本土の人間が行って騒いでるんだよ。むしろ、基地反対をあおっているのは本土のバカ左翼だろ。あほみたいにいつまでも。

年間2000億円もの沖縄対策費、なくなったら沖縄はどうするんだ。結局左翼のやってる事なんて、米軍基地が移転できないとわかっていてカネたかるだけだろうに。

全共闘とかやってて、やることなくて沖縄で騒いでるバカとはコンクリートに頭打ちつけて死ねばいいのにね。ゴミだよ。

投稿: ノンポリ | 2010年5月24日 (月) 07時40分

沖縄は特別税制で牛肉が安いとありますが、それはありません。しかしトリックはあります。
軍施設の出入り業者が、敷地内で格安でロットで牛肉を購入し、施設外にもたらします。それを昔からステーキ専門店に流しているのです。もちろんそれには既得権のようなものもあるようですが。あとはとかく固いといわれる肉の筋切りを丹念にしたりでいかに美味しい肉に仕立てあげるかが、その店の勝負だそうです

投稿: 変なおじさん | 2012年4月 9日 (月) 12時09分

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