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2010年4月 4日 (日)

政治用語から、英語カナ文字語は追放すべきだ。所詮はイメージ語なのだから。

4月になっても、相変わらず平年と比べると寒い日が続いているように感じる。今年に入っても、気象庁のデーターは知らないが、実感としては温暖化どころか寒冷化しているように感じる。まぁ、気象庁も国策に合ったデーターの取り方をしているように思えるのだが。

昔より、今の方が暖かいなんていう人もいるが、昔の家は断熱材など入っていなく、隙間だらけ。便所は汲み取り便所だったから、臭気抜け口から、冷たい風が逆流するし、暖を取るには、炭に火を起こした火鉢が普通。コタツがあっても、部屋全体は温まらない。手はしもやけになるのが普通。外気では、歩くか自転車移動が当たり前。今は、体が冷える前には、車内のヒーターにあずかれる。これだけでも、今の文明生活の方が暖たかく感じるのは当たり前なのだが。

自民党から、与謝野馨が離党して、明日には園田博之が離党する。これは以前、与謝野が文芸春秋に投稿した通りで、谷垣も了解済みのラインだから、ただその通りになっただけだ。これで、いつまでも自民党に執着していたら、かえっておかしなことになる。

与謝野は「蓼食う虫も好き好き」だから、囲碁仲間の小沢と裏で繋がっているのは致し方がない。(財)国際草の根交流センターって、オイラには訳の分からない団体の会長が小沢で副会長が与謝野だから、そこでの付き合いはずっと前からあるわけだし。

財団法人ジョン万次郎ホイットフィールド記念国際草の根交流センター

今朝、新報道2001の番組を観たのだが、久々に石原慎太郎が出演。与党議員相手に慎太郎節を語っていた。また後半は今「旬の人」与謝野と対談していた。

与党側では、細野豪志、古川元久、原口一博。コメンテーターでは、北川正恭と上山信一が出演していた。前半の話題は、マニフェスト問題を中心にして、慎太郎節が吼えていた。まぁ、慎太郎も頭は明晰だが、喋りが多少もつれるようになってきて、聞き取りにくいヶ所が増えてきて、歳が感じられる。加油!加油!ガンバレ!ガンバレ!

昨年、マスゴミは、民主党の公約には、財源の保証もないバラマキが多すぎるという批判に対して、いやいや、数年前から「マニフェスト」といって、イギリス政治のやり方を研究して、そのやり方で政策発表している。決して従来からの選挙公約とは次元が違うとサポートしてきた。

この「マニフェスト」という舌を噛みそうな英語カタカナ文字語を推進していたのは、この北川らだ。選挙前には特に、不安を感じる有権者に、民主党の言っているのは、従来からの選挙公約ではない。マニフェストだ。これで公約して政権を取ったら、その見直しも常にやり、最終的に実現しなければ、責任を取るシバリが掛けられている。と散々マスゴミを通じてプロパガンダをやりまくった。その結果が今日まで続いているのだが。

だいたい、政治の公式用語で、英語カナ文字語を使うときは、たくらみがあって、ごまかす時に使われることが多すぎる。数年前、安部政権の時も多かった。この「マニフェスト」というのも、英国の選挙での手法だと、印象を良くする為に使われた用語だが、全く同じかといえば、全然違うものなのだ。

まず、選挙において制度が違うし、公約政策を決める段階過程が全然違う。政策には全て「光と陰」があり、英国の「マニフェスト」にはそれに伴うであろう「陰」の部分も細かく記載発表する。つまり「子供手当て」を実現したいのだが、財源の問題ではそのしわ寄せはこのようになるが、このほうが両者天秤にかけると「子供手当て」の政策のほうが政策として断然良い、というように。

民主党は、それらを全て「政府の無駄」を削って財源を確保するで逃げてしまった。それをサポートするテレビ番組でも、例えば朝ズバの「みのもんた」のように、無駄を追求する連続シリースがとかいって、毎回サポートしていた。北川も県知事経験者なのに、教授の肩書きで机上の空論でサポートし続けた。

財務大臣を放棄した藤井に至っては、そのころ、財源に危惧を感じた民主党良識派の議員に「なあーに、政権交代してしまえばなんとかなる」こんな調子だったのだ。だから厳密に言えば、民主党の掲げた「マニフェスト」というのは国籍不明の単なる冠を借りただけの政治用語だったのだ。

マニフェスト(Manifesto)の語源については、ラテン語で「手(manus)」と、「打つ(fendere)」が合わさった、とする説が有力。「手で打つ」⇒「手で感じられるほど明らかな」⇒「はっきり示す」と派生したと考えられている。よって「マニュフェスト」は誤り(マニピュレータの誤り「マニュピレーター」と同じである)。

イタリア語経由の Manifesto (声明・宣言)が英語において選挙公約の意味で使われるようになったのは、近代イギリス保守党の政治的立場の基礎となったと考えられているロバート・ピールの1834年のタムワース・マニフェストが起源である。この声明は翌年の総選挙において保守党の政治方針として公式に採用された。

以来、イギリスでは総選挙ごとに主要政党はマニフェストを発表してきた。ただし1980年代までは、現在のように、具体的に数値目標・期限等を明示した詳細なものではなく、より概説的なものであった。現在、日本においていわれる選挙公約としてのマニフェストは、このイギリスの19世紀以来の政治慣行を参考にしたものである。

参考にするのは、おおいに結構なのだが、国民にはその「猿まね」で操ったわけだ。今日の番組で、その「マニフェスト」用語推進原理主義者の北川が、民主党マニフェストについて、おおいに疑問を呈して、指導的発言をするのかと期待したら、単なる民主党応援団だということが、改めてわかった。こいつ「マニフェスト」で喰っている見下げた机上の空論者なんだよ。政治の世界では、そんな理想論は通用しない。喰うか、喰われるか、利用できるものはなんでも利用する。

慎太郎が、いみじくも言ったのは、「直接給付」の恐ろしいところは、そこに新たな既得権益者が発生することで、恒久的になってしまい、どん詰まりまでいかないと廃止できなくなってしまうことだと。嘗ての美濃部都政の再来になってしまうというのは、オイラも同感だ。

願わくば、民主党以外の政党は「マニフェスト」なんて、システムの違う国の政治用語の横文字語を使うのではなく、日本の過去の時代を鑑みて、キチッとした日本語を使う、または造るべきだ。「実現政策と伴う廃止政策の公約」「政策目標公約」「死守政策公約」まぁ、頭の悪いオイラでも、イロイロ考えつく。この辺だったらイメージ用語ではなく、用語が誰にでも理解できる言葉になるだろう。ジジババ有権者にも簡単に分かる用語で対決すべきなのだ。

これに限ったことではなく、政治用語から、「マニフェスト」のような、イメージ的な、一部の人しか理解できない横文字語は一切禁止すべきである。またそんな用語でごまかす政党・政治家をさげすむ世論を巻き起こすべきだと考える。

一粒で二度おいしいオイラのブログ:今日の画像

春が来た!春ですね!

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ご盛んなようで・・・・・・・・。

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あ!お仕事中でしたか

他には・・・・・・・・・・

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ゴメンナサーイ!

失礼いたしました。

これ番外!

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