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2009年7月26日 (日)

世界恐慌:ウォール街の”モンスター”金融工学はなぜ暴走したのか ・・今ここ

NHKスペシャル「マネー資本主義第4回:ウォール街の”モンスター”金融工学はなぜ暴走したのか」を観たのだが。これらについては、オイラ数年前から今回の詐欺的金融バブルははじけるが、実態の詳細については、専門書や専門ブログを見ても、痒いところに手が届いていないものばかりだった。そりゃそうだ。米国や英国でさえ、一部は確認できていても、実のところ、政府の機関さえ実態は掴んでいなかったのだから。

昨年2008年に金融大危機になって、バブルが崩壊し、様々な詐欺的実態が明るみになり、その後の対処のなかで、様々な検証がされ今年になってその正体の概要が日本にも伝えられてきたばかりなのだ。

昨年3月頃、朝生でも森永卓郎なぞは、「金融危機を煽るとその手の本が売れて儲かるからいっそう大げさに騒いでいる。米国は日本と違ってすぐ対処して克服する」なぞと例によって知ったかぶりをほざいていた。他の専門家と云われてきたのも、これに準じた発言をしていた。オイラこの件を記事にした。こんな奴がいまだに登場して、テレビ出演料や講演料を稼いでいる。テレビ界って恥を知らない奴らばかりだね。

7月21日麻生首相は衆議院解散に際して、行き過ぎた市場原理主義からは決別するといっていたが。オイラ思うに、別に日本が市場原理主義全開に浸っていたわけではなくて、世界のグローバリズム金融のリーダー格米国・英国に、欲が絡んで引っ掻き回されていただけで、欧州各国はもっと深入りして、それこそ市場原理主義満開だったんじゃなかったか。だからいまだにEUは米国以上に立ち直れない。損害の影響はますます大きくなってきている。こんな事実はマスゴミでは報道されない。

村上ファンドやホリエモンなぞ、外資系ヘッジファンドの使い走りじゃなかったか。オリックスだって同じようなもの。日本では一部での仇花だったのよ。小泉を始め自民党の失政を非難するが、これらを詳細に分析すれば、これが十数年の世界の趨勢だったんだよ。これに巻き込まれないなんて、果たしてどの国も出来たであろうか。

この番組については、オイラ力を入れて記事を作ってきた。第4回目これが最後だ。もうひと踏ん張りなので頑張ってみる。(なんていっても1日仕事になるからね。)

マネー資本主義第4回:ウォール街の”モンスター”金融工学はなぜ暴走したのか

サブプライム・ローンという「時限爆弾」を抱えた金融商品が、なぜ大量に生み出され、世界を熱狂させていったのか。今回の金融危機の陰には、金融工学という「科学的なリスク・コントロール技術」の発達と過信があった。

そもそもの始まりは、人間の欲望が交差するマネー市場の値動きが、熱力学の法則と極めて近いという発見だった。核兵器や宇宙開発競争が下火になった時代、次の活躍の場を求める科学者がウォール街に流れ込み、数学理論で市場を予測しリスクをコントロールする挑戦が始まった。

金融工学と呼ばれるようになったこの技術は、証券化商品やCDSといった新たな金融商品を生み出し、世界のマネーをウォール街に呼び寄せていく。

しかしこの緻密な科学のアプローチにも、重大な弱点があった。それは、パニック時に人間がとる行動までは正確に計算できないこと。バブルが加速し、崩壊の兆しを見せる中で、ついにその弱点が露呈していくことになる。

最先端を走ってきた科学者たちが、ことの真相と問題の本質、そしてマネー資本主義の未来のあるべき姿について語っていく

プロローグ

いまにも落ちそうなインクの粒、インクの青い粒子はドンドン拡散していきます。粒子の動きをある座標軸で切り取りグラフにすると、こうなります。何かににているとおもいませんか?

市場で株を売ったり買ったり、こうして形づくられる株価のグラフ。その類似性に着目した科学者たちは、自然界のランダムな動きを捉える確率論を株価に応用、新たな数式を次々に作り出しました。

ノーベル賞学者:「物理学者が粒子のランダムな運動をとらえたのと同じ事を、私たちは金融の世界でやったのです。」

それが金融工学(Finanncial Engineering)。経験と感が頼りだったマネーゲームを数学理論でコントロールするウォール街の実践的な科学です。ウィール街に数万人ものクオンツ(Quant)よ呼ばれる科学者たちが集まり、新しい理論や技術、金融商品の開発にシノギをけづってきました。

あるクオンツ:「パズルを解くように難問を解いていくんだ。」

しかしその理論は金融危機で一気に崩壊。巨額な損失を世界にばら撒きました。クオンツたちがマネーの世界を変貌させたことが、危機を引き起こしたと批判されています。

アメリカ上院公聴会:「金融商品を作っていた数学や物理の天才たちは、市場や人間の行動をまったく理解していなかった。「金融版 大量破壊兵器」ではありませんか。」

クオンツたちは金融の何をかえようとしたのか。それは人に金をかしたときに必ず付きまとうリスク、金が返ってこずに損失をこうむるリスクを自在に操ることでした。金融商品に付いて回るリスクを集め閉じ込めてリスクのない商品を作り出す技術の開発。

まったく関係のない第三者に報酬と引き換えにリスクを肩代わりしてもらう仕組みの開発。

あるクオンツ:「これまで金融の世界に存在しなかった、まったく新しい発想やコンセプトを持ち込んだのです。」

しかしそうした技術は、リスクがあることで抑制されていた人々の欲望を解き放ちました。金融工学は何をしてしまったのか、何を反省しこれからこれからどうしていくべきなのか。金融工学の担い手たちはいま自らに問い続けています。

あるクオンツ:「私にも責任の一端があるかもしれない。その場に私がいたことは確かなんですから。」

あるクオンツ:「モンスターを作ってしまったんです。あまりにも魅力的なものを売ったばかりに。」

本編

マネー資本主義はなぜ100年に一度の危機に陥ったのか。これまで三回の放送でそこには例えばとてつもなく大きな額のお金が、例えば1兆円の1万倍、京という単位のお金が動いた計算になるということですね。

金融商品だとかあるいは年金マネーだとかといったことについてお伝えしてまいりました。4回目の今回は、それらを可能にした学問といいますか、技術といいますか、金融工学について話を進めて行きたいと思います。

今回のように科学者たちが開発したこと、それが危機に繋がっていった。これをアメリカではしばしば過去の歴史上のある出来事になぞられて語られています。それはマンハッタン計画です。

マンハッタン計画というのは、第二次世界大戦のさなかニューヨークのマンハッタンで行われていた原爆開発プロジェクトのことです。当時ヨーロッパでは、ヒットラー率いるナチスがユダヤ人の大量虐殺をしておりました。その迫害から逃れるために多くのユダヤ人科学者たちがヨーロッパを離れて、アメリカに渡りました。

そのうちの一人がこのアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)博士です。アインシュタイン博士は1905年に相対性理論を発表しましたけれど、この理論から原子核が分裂するときに巨大なエネルギーが発生するということが導き出されたのです。で、その理論を現実に応用しよう研究がニューヨークのマンハッタンで始まった。それがマンハッタン計画です。

優秀な科学者たちの手で開発された原爆は、その後広島長崎に落とされることになるのです。そして今回の科学者たちの営みも、また同じような道筋を辿ります。それまでアメリカ各地の大学や研究所で核開発の研究なぞしていた科学者たちが再びマンハッタン島に集結します。冷戦崩壊後にはロシアから。次は中国・インドからも優れた頭脳が入ってきました。

彼らがこれまでの金融の常識を覆す技術開発を行った。それが今回の金融危機の大爆発に繋がっていったわけです。金融工学は金融の世界に一体なにをもたらしたのでしょうか。

金融危機はなぜ起きたのか。金融工学に責任はあるのか。今、全米各地でクオンツたちが議論を重ねています。「誰もが疑問に思うのは、なぜこんな危機がアメリカでおきたのか。世界で最も洗練されているはずの金融市場で起きたのかということです。」

この日は金融工学の研究の最高峰であるアンドリュー・ロー教授(MIT金融工学研究室のトップ)の講演会に百人を超えるクオンツが詰めかけました。

「複雑すぎる金融商品が市場に悪影響を与えたんでしょうか?」「悪い人の手にかかるとそうなるのかもしれません。開発されたときの意図はそうではなかったと思うのですが。」

金融危機の余波が今も残るニューヨーク マンハッタン。マイク・オシンスキーさんです。毎週海辺の村からニューヨークにカキを配達に来ています。「以前 あそこで働いていたんだ。ソロモンブラザーズが最初だった。」オシンスキーさんは、実はウォール街の金融工学では欠かせない技術者の一人でした。低所得者向け住宅ローン、サブプライムローンを組み込んだ金融商品の開発に携わっていました。

金融危機の自らの体験を語った雑誌の記事。タイトルは「私のマンハッタン計画 - ウォール街を破壊した爆弾を作るまで」

自分が情熱を傾けた仕事が今回の金融危機を引き起こしたのであろうか。その責任を自らに問い続けています。「”お前は悪魔だ”と見知らぬ人にまで言われた。私にも責任の一端があるのかもしれない。明らかに僕は関わっていたわけだから。」

自宅には開発に使われたコンピューターが残されていました。「思い出がいっぱいだ。このパソコンで10年仕事をしたんだ。子供みたいなもんさ。」「動き出したぞ」数字を打ち込むだけで、サブプライムローンから金融商品を作り出すことが出来るコンピューターソフト。

このソフトを購入した金融機関の名前も保存されていました。バンク・オブ・アメリカ。シティー。そしてその破綻によって世界を金融危機に陥れたリーマン・ブラザーズ。マネーの世界に革命を起こし、金融機関を激動の世界に引きずり込んだ金融工学。その歴史は1970年代にさかのぼります。

ニクソン大統領:「ドルと金の交換を停止します」1971年のニクソン・ショック。ドルの変動相場制がスタートし、それまで固定されていた相場が乱高下を始めます。そして73年のオイル・ショックです。エネルギー価格が急騰。インフレを抑えようと金利も引き上げられ、市場が突然暴れだしたのです。

ちょうどその年、MIT(マサチューセッツ工科大学)で画期的な数式が発表されました。後の開発者がノーベル経済学賞を受賞することになるブラック・ショールズ式です。数式を作った一人マイロン・ショールズ博士。

株取引に初めて数学や物理学の理論を本格的に導入して金融工学を誕生させました。水の中で拡散していくインクの粒子。アインシュタインらは、この粒子が水の分子にぶつかっておきる一見不規則な動きにも、ある確率のもとでの法則性があることを発見しました。ショールズたちはこの確立論を株取引のリスクコントロールに応用したのです。

ショールズ博士:「私たちはいつも金融を科学的なものにしたいと思っていました。アインシュタインはコーヒーカップの中で、コーヒの粒子があちこちに跳ね回る様子をとらえれば、熱がどのように伝わるかわかると言いました。そのコーヒーの粒子と様々な動きをする株価は同じようなものだと私とブラック博士は考えたのです。

リスクをコントロールしてくれる数学理論の登場。それまで相場の乱高下に振り回されていた市場は沸き立ちました。市場関係者:「この計算機に入ったブラック・ショールズ式によって、常にリスクを計算できるのですよ」

80年代、ウォール街の投資銀行は科学者の雇用を急拡大し始めました。マンハッタンにはクオンツ専門のヘッドハント会社が次々設立されました。

アナリティック・リクルーティング(ヘッドハント会社)「エネルギー系の博士号をもっている人間がいるんだ。」人材獲得のターゲットは、マンハッタン計画以降も、最高峰の科学者を抱えてきた核開発などの研究機関。

ちょうどそのころ米ソ間で軍縮が進み、予算も削減されて人材をもてあましていました。「私たちの仕事はロケット科学者の手からロケットを取り上げて、ウォール街で株式相場の予想をさせることなの。」「科学者が押しかけてきて”ウォール街で働きたいんだ”と言うんだ。20倍30倍稼げたからね。アインシュタインみたいな人材を探しているのさ」

第1部

ハーバード大学で生物物理学の博士号を史上最短で獲得したジョン・ソーさん。ウォール街で就職を決めた一人でした。アメリカ政府の研究者の給与カットで次男の出産費用が賄えなくなったのがキッカケでした。ジョン・ソー:「当時、病院で子供を産むには60万円掛かりましたが、私の給料は年110万円しかありませんでした。私はウォール街へ行くことにしたのです。

ソーさんの父親は韓国出身の数理経済学者。母親は北朝鮮から亡命してきた数学者です。両親の影響を受け4人の子供たちは全員科学者の道を選びました。「いつも家族で数学の話をしていました。世界の大問題を数学の力で解決したいと強く思うようになったんです。」

数学者としての並外れた能力はウォール街ですぐ花開きました。「書類はいつもこんな風にパーッと目を通します。」「そんなスピードで全体を読めるんですか?」「読んでいるという意味では読んでいませんが、商品の構造などは一瞬でわかりますよ。ありましたよ、債権の数学的構造式が書かれていますね」

クオンツたちは、マネーの常識を覆す技術で、デリバティブ(金融派生商品)と呼ばれる新しい金融商品を次々と生み出していきました。ソー:「ウォール街に科学者や数学者にとっての”黄金時代”がやって来たのです。」

後にマネー資本主義を暴走させることになる、金融工学の画期的な技術開発とはいかなるものか。その一つが住宅ローンなどで貸した金が返ってこないリスクを集めて閉じ込めてしまう技術です。リスクのない安全な商品を大量に作り出す高度な技術。これがローンの債権をおおぜいの投資家に販売する証券化という手法に生かされました。

ソーさんは証券化の最先端に携わっていました。ソー:「水の浄化プロセスにそっくりなんですよ。水を浄化するときはこうした不純物をタンクの下のほうに沈殿させますよね。水は常に動いているから不純物は完全には安定はしないんですが、これによって水質のレベルをいくつかに分けることができるんです。

これを”A””B””C”と呼ぶことにしましょう。世界中の人がほしがるのが”A”、不純物なしの水、飲み水ですね。」この沈殿の仕組みは、ローンに貸し倒れが出た場合、一定数までは全てCの債権の持ち主がこうむり、それを超えた分だけB、A,へ損失及ぶといったルールで成り立ちます。リスクの低いものは一般の投資家に、リスクの高いものは高額の利回りと引き換えにヘッジファンドなどに買ってもらう仕組みです。

ソー:「10~15年前なら、社外にばらしたらクビになるほどの技術でした。シンプルで白板に書けてしまうようなものですけどもね」

では、リスクの及ばないAを全体のどのくらい作れるのか。それはサイコロを使った確率論から導きだせるといいます。住宅ローンを証券化するときには、一回におよそ5千のローンが集められます。

当時の貸し倒れの発生率は、多く見ても5%、1/20です。つまり20面体のサイコロで1が出る確立にあたります。それを5千個同時に振ったとき1の目はいくつ出るか。10個同時に出る確立、100個同時に出る確立を順に計算していくと、200個を超えたあたりから、同時に出る確立は下がり始め、300個ではほとんど0になります。300件までのローンの貸し倒れのリスクを、CやBに優先的に引き受けさせると決めておけば、残りを引き受けるAのリスクは限りなく0に近づけるというわけです。

こうした確率論を活用することで、ローン債権の買い手が増え、その結果人々へのローンの貸し出しが容易になったのです。ソー:「いい気持ちでした。社会的使命を果たしていると感じられるエキサイティングな時代でした。人々がマイホームの夢をかなえる手助けをしているという実感がありました。」

金を貸したら必ず貸し倒れのリスクを背負というマネーの常識。それを覆すテクノロジーが90年代もう一つ生まれました。

ローンなどに内在するリスクだけを取り出して、投資家などに移し、肩代わりをしてもらう技術です。開発の舞台となったのは、マンハッタンの老舗商業銀行JPモルガン。膨大な数の企業に貸した資金が返ってこないリスクをなくしてしまおうという壮大なプロジェクトが立ち上げられました。

当時25歳でその特別チームに抜擢されたMIT数学家卒のクオンツのテリー・デュホン(元JPモルガン)。チームの責任者に呼ばれた時のことを今も鮮明に覚えています。

「彼はどかっと腰を下ろして言いました。”我々はCDSってヤツを次の時代の主役にしようと思っているんだ”私は興奮しました。新しい市場がつくれるんだ。新商品を一から開発できるんだと。」

CDS:クレジット・ディフォルト・スワップ

金を貸したリスクを、借り手とはまったく関係ない投資家に背負ってもらい、その見返りに保証料のような報酬を定期的に支払う金融商品です。投資家は貸し倒れが起きたときは借金の保証人として損を被ることになりますが、なにも起きなければ、保証料収入というメリットだけを得られる仕組みです。デュホンさんらはこの技術をさらに進めて300社分97億ドルの融資のリスクをまとめて取り除くことにしました。そこで注目したのは、やはり証券化の技術でした。

チームは300社分のリスクを集めたCDSを作り、証券化を通じてリスクを閉じ込めました。そしてその大部分を安全性の高い商品として保険会社などの機関投資家に引き受けてもらったのです。

しかしこのCDSの取引には、重要な前提があります。300社の内どの程度の企業が貸し倒れに陥るのか、そのリスクを正しく把握しておかなければ、とたんに成り立たなくなるのです。デュホン:「この先5年で何社が破綻するか確立を正確に出さなくてはなりません。1社くらいは破綻することは確実で、逆にすべてが破綻することはありえない。では2社が破綻する確立は?3社が破綻する確立は?それぞれ把握しなければならなかったのです。」

貸し倒れリスクに関する膨大なデーター分析を経てCDSの取引に乗り出したJPモルガン。僅か4ヶ月で5兆円を超える新たな市場を生み出し、ウォール街のドリームチームと呼ばれました。デュホン:「セクシーでとても魅力的なアイディアでした。それは誰も思いついたことがない、金融市場におけるまったく新しいコンセプトでした。」

安全な金融商品を生み出す証券化、そしてCDS。リスクを自由に操れる技術によってウォール街は一気に活気付きました。

技術の更なる応用が進みました。投資銀行ベアースターンズで働いていたこのクオンツは売れ残りの債権から、CDOと呼ばれる新商品を作り始めました。住宅ローンから作った債権の内、比較的リスクの高い売れ残りを自動車ローンや航空機のリースなぞ他の債権と組み合わせて再び証券化し、その大半を安全な商品だとして売り出したのです。「格付けの低いものを原料にしても70%はAAAにできるんですよ。」「マジックのようですね?」「マジックみたいだけど、本物の技術さ。」

後にウォール街と決別することになるオシンスキーさんも、このころ新たなソフトに熱中していました。複雑な計算をコンピューターに肩代わりさせ、クオンツにしか出来なかった金融商品作りを誰でも出来るようにしました。完成したソフトはウォール街の名だたる金融機関に飛ぶように売れました。「彼らにとてつもない能力を与えたんだ。僕はこのソフトに本当に誇りを持っていた。何ヶ月も何年もかけて完璧にして、なんでも出来るようにしたんだ。」

ブラック・ショールズ式が発表された73年にはきわめて小さな存在だったデリバティブ市場。2001年までに9,000兆円近くに膨れ上がりました。

金融に生きるものは、昔からある一つの決まりの中に生きていました。例えば人にお金を貸す。すると利息を得ることができます。これも大変重要な決まりの一つです。その一方で、借りた側の事情では利息はおろか貸した金も返ってこないことがある。貸し倒れ現象です。そして貸し手に多大な損失を与える。これもまた大変重要な常識です。

金融工学は科学の公式を金融の世界に持ち込んで、こういう常識を打ち破ろうと試みたもです。金融工学の担い手の一人であるジョン・ソーさんの言葉を借りれば、この技術の中核をなすのは、水の浄化システムだと、このように言います。

ここにビーカーがあります。これ透明ではありませんからなかなか動かない。このピンク色になっているピンクの原因はリスクなんです。で、金融工学ではこのリスクの部分を集めて下に沈殿させようとしたのです。このビーカーの底に沈殿した赤い部分、これをいくつも寄せ集めてまたビーカーに入れる。これをまた金融工学の技術によって沈殿させる。それによって透明な真水の部分を生み出すことが出来る。このようにすれば透明な真水の部分を飲むことが出来る。

でもこれには大変大きな前提がいるわけです。それは何かといいますと、膨大なデーターの中からリスクの割合をきちんと出して、この割合なら、こういう条件だったら分離できる、つまりこの真水にリスクは回らないとする、この緻密な計算が必要だということになります。もしその前提が崩れるとこの真水はリスクが入ったピンクの水に変わってしまうのです。

2000年から2001年、住宅ローンの証券化に携わっていたオシンスキーさんは、投資銀行からそれまでなかった依頼を受けるようになりました。「これはサブプライムローン 金利が9%以上かなり高いね。」低所得者向けのサブプライムローンを組み込んでほしいという依頼でした。

アメリカ経済が貧縮し始めていました。2001年9月マンハッタンを襲った同時多発テロ。直前のITバブルの崩壊で失速していた更なる経済の悪化を防ぐため、金融当局は大幅な利下げを行いました。

サブプライム業者のテレビCM:「待ってちゃダメ お待たせしません クイックローン ファンディング」

低金利政策は超金余りを引き起こし、金融機関も新たな貸し出し先の開拓に駆り立てました。

テレビニュース「住宅を買うが記録的に上がっています。ローンを借りる最大のチャンス!憧れの旅に出ちゃおう!新車も買っちゃおう!」

住宅ブームは、住宅価格の急上昇を引き起こしました。人々は所得に見合わない家を購入するばかりではなく、家を担保にした借金まで膨らませることになりました。証券化の技術が可能にした、誰でもローンを借りられる社会。それがオシンスキーさんが想像もしなかった形で投資銀行などを暴走させ始めたのです。

オシンスキー:「なぜそういう人が普通より高い金利を払えるんだ?と聞いたら、そんなの関係ないさと投資銀行の人は言った。住宅価格が上がっている限り家を差し押さえて売ればいいから問題ないってね」

そのうちとんでもない事がおきるのではないか、しかしお客の要望にこたえるしかなかったオシンスキーさんは、証券化で閉じ込めたもっともリスクの高い部分を表す符号に、マンハッタン計画を想起させるデザインを選びました。「放射能だよ、象徴しているだろう。だれでも知っていたよ、きわめて危ないということを!」

貸し倒れのリスクを移転する金融商品CDSを手がけていたJPモルガンにも、住宅ブームの波が押し寄せました。テリー・デュホンさんのもとに、これまで企業への貸し出しのリスクをなくすために行っていたCDSを住宅ローンでもやってほしいともちこまれました。ところがデュホンさんは致命的な問題に直面しました。

企業の場合には景気のいい時だけでなく、悪いときにもどれだけ倒産するかのデーターを豊富に集められました。この常識が住宅ローンでは通用しなかったのです。「住宅ローンが5万人分あったとして破産する人の確率は?住宅ローンが重過ぎたり家が売れなくなる人の確率は? 誰かが破産したとき その影響を受けるかといった関係性も把握せねばなりません。しかし限られたデーターしかなく、とても難しかったのです。社内で大議論をした末、それ以降やめることにしました。」

第2部

JPモルガンは住宅ローンのCDSから撤退しました。しかしトップを走るJPモルガンが手を引いたことで、逆に他の金融機関の参入を加速させました。大手投資銀行ベアースターンズもその一つでした。ヘッジファンドや年金基金などからの投資家からは利回りのいい新たな金融商品を求める声が強まっていました。

アイラ・ワグナー(元ベアー・スターンズ):「2005年ごろから住宅分野に投資した人が増えすぎ、証券化商品だけでは需要に応えられなくなったため、人々はそのリスクの保証人になることで収入を得ようとしたのです。」

ではCDSを通じて引き受けるリスクは、当時どのくらいあったのかと計算されていたのか。多くの金融機関がデーターを集めたところ、貸し倒れのリスクはきわめて低い常態が続いていました。アメリカの住宅価格は三十年以上上がり続けていたからです。

商品の説明では、経済の好調が続くなかで、住宅価格がいつかは下落するなどということは想定すらされていませんでした。貸し倒れの低さが商品の魅力をアピールする材料に使われました。

投資家は大量に供給される商品の登場に沸きました。最大の引き受け先の一つになったのは、世界最大の保険会社AIGでした。デービッド・モーデカイ(元AIG幹部):「保険会社が引き受けたのはCDSのうち最も安全な部分でしたからね。当然損失を被る確率があまりにも低いために、CDSの保証料はほとんど”タダでもらえるお金”だと思っていました。」

一方金融商品のリスクを判定する、ムーディーズなどの格付け会社も、住宅ローンの危うさに警告を発することは出来ませんでした。格付け会社も過去のデーターを元にリスクを計算していたからです。

ゲーリー・ウィット(元ムーディーズ):「起きてもいない住宅価格の暴落を格付けに組み込むには、確信がもてるだけの証拠が要ります。証拠なしにそんなことをすれば数百億円のビジネスを棒にふるのです。私たちの仕事はヘッジファンドのように未来を”推測”することではないのです。」

経済が好調な時のデーターしかないことが、いつか致命傷になると考えていたデュホンさん。やがて予想をはるかに超える熱狂を目の当たりにします。もともとはリスクを回避したい銀行の求めに応じて、CDSを押し続け報酬を得ていた投資家たち。

逆に報酬を求めて投資家たちが銀行にCDSを作らせるという現象が始まっていたのです。デュホン:「まさに逆転現象でした。投資家の方から銀行にやってきて”これが欲しい これが欲しい”と言うから、銀行が必死でリスクをかき集めるようになりました。これがサブプラムの発行を後押ししました。リスクを引き受けてくれる人がいくらでもいたわけですから。」

次々発行されるサブプライムローンのリスクを、投資家が競うように引き受けていったことで、まるでリスクが存在しないような現象が生まれました。金融工学はついに人々を押さえつけていたリスクの恐怖から完全に解き放ち、きわめて危険な住宅ローンを溢れさせたのです。

テレビ報道:「家ころがしが国民のスポーツになりました。この女性の隣人も家ころがしに参加しました。」「きれいな新築の家を買って数ヶ月おいて転売しただけで、かなり儲かったといっていました。」

2005年、デュホンさんはフィナンシャルタイムスで、加熱する市場に警告を発しました。「投資家はリスクを理解していない。」しかしデュホンさんの意見に従う投資家はいませんでした。「なんと言えばいいのか、とても止められるような状態ではありませんでした。列車がやってくる線路に立っているようなものなのに。」

デュホンさんの開発したCDSはもはや手の付けられない存在になっていました。2006年夏、上がり続けていた住宅価格はついに下落に転じました。格付け会社などは金融商品を見直しました。驚くべき事態が進んでいました。

以前はサブプライムローンの貸し倒れ発生率は5%前後、20面体サイコロで1が出る確率だと想定されていました。ところが2006年以降、貸し倒れの発生率は25%前後まで上昇、サイコロは4面体に変わったのです。しかも地価下落が全米で一斉で起きたため、同時に同じ目が出る確率はさらに上がりました。その結果もともとリスクがほとんどないとされていた商品の多くに貸し倒れの損害が押し寄せたのです。

証券化商品を襲った住宅ローン貸し倒れの急増、それは証券化商品のリスクの高い部分のもとに作ったCDOを一気に焦げ付けさせました。これらを大量に抱えていたベア・スターンズが経営危機に、そしてリーマンブラザーズが破綻しました。さらにCDSを大量に引き受け、サブプライムローンの膨大なリスクを抱えていたAIGは資金繰りに行き詰って国の管理下に置かれました。

金融工学によって正規に汲み上げられていたはずの600兆円を超える巨大市場は、崩壊しました。デュホン:「結局”モンスター”を生んでいたのかもしれません。それがあまりにも魅力的であったためなのか、突然化けてしまったのです。」

科学が引き起こした問題に科学者たち自身はどう向き合うべきなのか。例えば原爆開発のマンハッタン計画、アインシュタイン博士や湯川秀樹たち科学者たちは、戦後核兵器の廃絶や核の平和利用の運動に立ち上がりました。広島・長崎を二度と繰り返さないために責任を果たすべきだと考えたからです。

では今回の金融危機に関わった科学者たちはどうかといえば、この金融工学の担い手たち、クオンツといいますが、彼らを多く金融界に輩出した大学の教授を中心に、この金融工学をその前提や限界を十分に自覚して使うようにという呼び掛けが始まっているのです。

金融危機のあともマネー資本主義は世界の経済を支え、引っ張っていくことになります。そんな中でこの金融工学の存在というのは大変大きくなり、なくてはならないものとなっています。そうであるならば、この社会での金融工学の信頼はどう果たされるのでありましょうか。

CDSを開発したテリー・デュホン(元JPモルガン)さん、今はJPモルガンをやめコンサルタント会社を経営しています。投資家や金融機関に、どうしたら格付けだけに頼らずにCDSのリスクを把握できるかを教えることに力を入れています。「社債を買ってもリスクはあるのに、なぜCDSのリスクが問題視されるのですか?」「いい質問ですね。一見良さそうなものがなぜ問題だといわれているのか。」再び金融危機を起こさなために、CDSの正しい理解を広めることが大切だと考えています。

一方数学者の家庭に育ち、科学は社会のためにあるべきだという信念をもつジョン・ソーさん。「テクノロジーが作った問題はテクノロジーで対処するしかないんです。」この日は、金融工学の弱点を克服するため、脳科学を取り入れる研究を進めるMITのロー教授を訪ねました。人が利益を出し続けるとリスクの感覚がどうマヒしていくのか。データーの収集を行っています。

ロー教授:「人間の弱さや行動をとらえ、取り入れたテクノロジーを開発すれば暴走を抑えられるのです。」ソーさん自身も金融工学の信頼を取り戻すため、まったく新しい分野に乗り出しています。ハリケーンや巨大地震など大災害のリスクを証券化するカタストロフィー債(大災害債)です。

「1995年の神戸の大地震は大きな出来事でした。そのときの膨大なデーターをモデルに生かしているんです。」異常気象や新型インフルエンザなどのリスクも大きくなってきています。保険会社が引き受けられないほどの大災害に備えるには、金融工学を使って世界中の投資家にリスクを移転するのがもっとも有効だと考えています。

ソー:「保険業界には大きすぎるリスクも、証券化して世界50兆ドルの金融市場に分散させれば、投資家が保険会社になることで難なく吸収できるのです。これを可能にするのが金融工学なのです。」

早くもソーさんの計画には膨大なマネーが群がり始めています。先月ニューヨーク郊外で行われたカタストロフィー債の説明会。世界の名だたる金融機関やヘッジファンドなど80社以上が参加しました。金融危機で落ちた巨大な損失を挽回しようという客からのアプローチは日増しに加速しています。

エピローグ

世界は金融危機の痛手からどう立ち直るべきなのか。サブプライムローンの証券化に携わっていたオシンスキーさん。金融の世界を去り、海辺の村でカキの養殖をしています。

「ウォール街に戻らないのですか?」「絶対にNOだ!」「彼らはボーナスを一杯もらってるんでしょ?」「ボーナス?新聞で見たのか?別にいいんだ、金がすべてじゃない!」「昔ほどの収入はないでしょう?」「比較にならないよ。だけど生きていくには十分だ!」

金融危機を乗り越える動きが活発化するなかで、マネー資本主義はどこへいくのでしょうか?私たちはこれからどう付き合っていけばよいのでしょうか?

第3部

(オイラの感想)

昨年からの金融危機、金融バブル崩壊について、その裏側の詳しい情報がほとんどオイラ見つけることが出来なかったので、単なる表面的な理解だけしかなかった。このマネー資本主義のドキュメンタリーの全てで大体の理解が出来た。NHK久々の優秀作だと評価したい。

もちろんこれが全てではなく、もっと様々あるなかで象徴的なものを剥ぎ取って取材編集したものであろう。この中で出てくるデュホンさんやソーさんについては、取材を条件に彼らの今の事業の紹介(宣伝)をすることを約束されたと思う。それは当然だろう。それがなかったら彼らは単に負け犬になってしまう。

90年代の日本の土地バブル崩壊のあと、日本の軽薄経済評論家たちは、アメリカでは融資するときの与信能力はすぐれていて、日本のようにただ土地を担保に融資することはないとか。金融・証券の監視制度はその機関も大規模で厳密で、日本のように薄らボケではないとか。もしもの場合すばやく的確に対処して事を大きくさせないとか。

みんないい加減な嘘っぱちだったんじゃないかね。それとも無知な評論家?昔のビデオを編集してビデオサイトに投稿したくなるよ。実態は結局、詐欺的・カジノ的・ねずみ講的金融経済だったんじゃないかい。

田原総一郎はたびたび、米国の金融界は優秀で日本は永久に太刀打ちできないなんてよくいっていた。「後だし評論」になるけど、何のことはない。「木を見て森を見ず」金融だったんじゃないかい。

不動産価格は限りなく上昇することはない。必ずいつかは上昇した分崩壊する。融資にはリスクが伴う、必ず誰かがそのリスクを負うことになる。だから厳格な与信が実行されなくてはならない。金の小槌は絶対存在しない。これらが定説、つまり森ということ。

今回の金融危機を突き詰めれば、これらの定説をごまかして、皆が「合成の誤謬」に嵌ってしまったとも言える。それも1国だけでなく、グローバルに、全世界を巻き込んでいった。日本なぞまだ賢明な方だ。EUなぞは未だに解決の道すら方向が定まらない。もしかしてユーロの通貨制度も危うくなるかもしれない。

批判全開の野党やマスゴミが日本経済の状態をブイブイなじるが、これでも他の国々が失業率10%に近くなっているのに、いまだ5%台。GDPも昨年各企業がすばやくリストラや損失を処理した結果、その分マイナス幅は大きくなったが、今年後半はどの国よりも早く立ち直りそうとのことだ。他の国の受けた恐慌をよく調べてから文句を言ってもらいたい。日本も捨てたものではないんだよ。日本の金融制度も。

ここに、このマネー資本主義に関してのオイラの記事を再度、晒しておきます。しっかり、お勉強してください。

世界恐慌:カジノ金融の発生と詐欺金融の犯人たち・・今ここマネー資本第1回

世界恐慌:超金余りはなぜ起きたのか?~カリスマ指導者たちの誤算・・今ここマネー資本主義第2回

世界恐慌:年金マネーの”熱狂”はなぜ起きたのか?・・今ここ マネー資本主義第3回

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コメント

 今思えばITが馬鹿が馬鹿を呼ぶ現象を現出させたに過ぎない。肝心なのは、主体が自分であることが大事で、主体の自分が探したいことを見つけるのに便利だったのがIT。もはやゴミのようだ。

投稿: ムスカ大佐 | 2015年7月 2日 (木) 22時54分

【一神教信者の皆さん】
人間は神様が6千年前に作ったんやないんやでー♪
46億年前に地球ができて、その10億年後くらいに偶然できた単細胞生物の子孫なんやでー♪

「汚く稼いできれいに使う」がモットー(座右の銘※1)の笹川良一※2 が「人類みな兄弟」と言ってたけど、
地球上の全ての生物は最初の1つの子孫だから兄弟だ。
殺し合ってる人間同士も兄弟。
殺し合ってる人間と黴菌も兄弟。
殺し合ってる人間とウィルスも兄弟。
人間と、生物ですらないウィルスが兄弟って、素敵やん。

※2 笹川良一が「人類みな兄弟」というテロップとともに「戸締り用心♪火の用心♪」って、素敵やん

片や、亀の歩みの如き進化を36億年間続けて人類に。
片や、目まぐるしい変身(進化)をし続けたけど、36億年たった今でも細菌やウィルスのまま。
さあ皆さん御一緒に・・・「素敵やん」

※1 ちなみに、さだまさしの左右の眼は
左…1.0
右…0.7

投稿: 引用・利用は御自由に | 2016年3月 9日 (水) 11時25分

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