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2008年9月 2日 (火)

ラッフルズ・ホテル物語

旧盆の8月15日の夜、三島でポン友たちと静かに呑んでいたのだが。

6月にグァム旅行(15年ぶりのグァム)をした仲間と反省会(?)を兼ね、またオイラの高校時代のポン友で、蘇州に会社をもってしょっちゅう行き来しているイサ坊、という顔ぶれだったのだが。

呑み処は、三島本町の飲み屋通りにある、小さな洒落たスナックだった。ここのママさん上品そうで、店にはカラオケはなし。ジュリーロンドンのスタンダード曲が流れていた。オイラこういう店は大好きだ。いいお話を楽しめる。

話はアッチコッチ行ったり来たり。グァムで知り合った銀座のママさんのスナックへ、二人は背中にネギを背負って行ってきたらしい(カモネギ)。海外の話になって、バンコクやセブ島やシンガポール。このシンガポールの話になって、意外な方向に話が弾んだ。

ここのママさん(オイラよりちょい年上)シンガポールのとあるホテルで生まれたそうだ。イサ坊は仕事の関係で、ちょいちょいシンガポールに行った事があるらしく詳しい。オイラは20年ぐらい前、家族旅行で行ったきりだ。

なな、なんとそのホテルはラッフルズ・ホテルなのだ。それも父親が当時支配人だったとか。そして生まれたのが終戦間近のころ。マーライオンの近くにあるのだが、オイラあまり記憶がない。たしか村上龍の小説「ラッフルズホテル」ってのがあったのだけしかオイラには知識がない。

ウィキペディア(Wikipedia)で調べてみると、

この建物はシンガポール在住の欧米人や旅行者の社交の場として使われ、ダンスパーティーが夜ごと行われ、バーではカクテルが振る舞われた。なおこのホテルが発祥の地と言われているシンガポール・スリングは、1915年にこのホテルのバーテンダーで海南島出身のニャン・トン・ブーンの手によって誕生した。

シンガポールが日本に占領された第二次世界大戦時の1942年2月15日にラッフルズ・ホテルは日本軍に接収され、陸軍将校の宿泊施設となり、ホテル名も昭南旅館に変更させられた。日本軍は宿泊した名士の記録や愛用品などを破棄し、その中にはサマセット・モームやラドヤード・キップリングが残していったサインなども含まれていた(日本軍だけではなく、アメリカ軍やドイツ軍なども占領した国の有名ホテルや施設を接収した際に同様の廃棄・略奪行為を行っている)。なお終戦直後は、イギリス軍の宿営所及び臨時戦犯収容所として一時利用された。

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1946年、ホテルとして再オープンを果たす。開業して100年となる1987年には建物がシンガポールの歴史的建造物に指定された。1989年には一時休館し、全面改装を行い、豪華な調度品や8000点を超える銀食器、陶磁器はそのままに、最先端の技術を導入し、優雅さを増して1991年9月16日に再開された

その昭南旅館の時、彼女の父親は神戸で公務員になるか、このホテルの支配人になるか選択を迫られ、結局この外地のホテルの支配人となったそうだ。そして終戦間近に彼女は、このホテルの一室で生まれたそうだ。

当時山下奉文中将にも抱っこされたとか。まあ陸軍将校の宿泊所だったからね。偶然オイラも20歳のころ、この山下奉文中将のお孫さんとの思い出がある(白血病で逝去したが)。

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そして、彼女まだ赤ちゃんのころ日本への引き揚げで、母親に連れられ、父親とは別々に船に乗って無事帰国したそうだ。もちろん父親も無事帰国が出来、家族で再スタートをしたそうだ。だから彼女は全然このホテルの記憶はないとのこと。

そして今度は中伊豆にあった旅館の支配人家族として、その大きな旅館の中で育ったとのこと。その後ご両親はなんとしてもあのラッフルズホテルをもう一度訪れたいと、ご夫婦でシンガポールに旅行に行った。しかしその頃は、日本円が大変安い時代。

このラッフルズホテルの宿泊料は、日本円換算では、とても泊まれる予算(今でも一泊7万円以上)は無かったので、このホテルの屋外ティーラウンジで懐かしいラッフルズホテルの外観を眺めながら、ご夫婦二人でジュースを飲んだだけだそうだ。

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なにかその頃のことが、オイラにも、まるで映画のシーンのように伝わった。大変いいお話を聞かせてもらいました。    それも旧盆の夜に。

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コメント

こんにちは。
昭南旅館で検索してこちらにたどり着きました。
実は私の曾祖父も戦時中のラッフルズの支配人だったという説が私の親戚の間で語られており、それが事実であるかは別として、興味を持ちました。
私の曾祖父は終戦間際にシンガポールから阿波丸で引き上げる途中でアメリカの潜水艦クイーンフィッシュに撃沈され他界しました。
曾祖父を知る祖父母もすでに他界してしまいましたので、その頃の様子を語るものは、戦時中にラッフルズの庭で撮ったらしい何枚かの写真しかございません。
そんな経緯からこちらの記事に興味を持ったしだいです。
突然のメッセージ失礼いたしました。

投稿: noBu | 2016年2月10日 (水) 16時10分

コメントありがとうございます。
そのスナックのママさん。その出会いの後数年して、癌で逝去されたそうです。細身の大変上品そうな女性でした。
両親と共に日本に戻ることが出来、さらに戦後は大きな旅館の支配人の子として、やはりその旅館内を住まいにしたとか。ある意味ラッキーな人生だったと感じます。もちろん他の戦後復興の日本人と比べてですが。
ところで、これに刺激されて、2011年に私もシンガポールを漫遊してきました。
そのときの事を記事にしました。
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2011/11/23-eeab.html
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2011/12/post-0fb0-1.html
http://yoiotoko.way-nifty.com/blog/2011/12/post-0fb0.html
何かのご参考に!

投稿: オイラ | 2016年2月14日 (日) 10時48分

ありがとうございます。
まさか返信いただけるとは思ってもおりませんでした。
ママさん亡くなられたのですね。
実は、支配人説のある曽祖父には二人の息子が居り、一人は私の祖父。もう一人の弟は伊豆で大きな旅館を経営しておりました。
祖父の弟は今でも健在です。いつまでも長生きして欲しいと願っています。
戦時中に疎開先の伊豆伊東の別荘で、剣道の稽古をしている亡き祖父と祖父の弟を監督している支配人説のある曽祖父の
写真が残っています。
何とも不思議な話ですね。

シンガポール、私が40になる前にはゆっくり訪れたいと思います。
この10年くらいでシンガポールもかなり様変わりしたようです。
そのときは古いモノクロ写真を手に、ルーツを探りたいと思っています。

投稿: noBu | 2016年2月18日 (木) 12時13分

時系列を合わせないと分かりませんが、多分その伊豆で大きな旅館(当時)というのは、ぴったりで、その弟さんは健在とのこと。彼女(ママ)のお父さんかもしれませんね。なぜ三島で
スナックを開いていたのか分かりません。聞いたかもしれませんがよく覚いません。但しそのママさんの旦那さんはご存命らしいです。二人でそのスナックを開いたそうです。
もしかして、その曽祖父があなたの祖父の弟さんを呼んでラッフルズホテルの支配人をやっていた可能性もありますね。まぁ祖父の弟さんに聞くほうが正確でしょう。

投稿: オイラ | 2016年2月18日 (木) 14時57分

初めまして。ラッフルズホテルを検索してこちらの
ブログにたどり着きました。実は私の母の伯父も
1946年頃までマネージャーをしていた、と本の
ラッフルズ物語で読みました。その頃を知っている人は存命しておらす父母も他界している為、現在
はその真意が分かりません。私達の両親の世代ではこちらのオイラ様やnoBu様のご先祖様やご親戚様
は顔見知りだったのかも知れませんね。私は豪州
に住んでおります、とても親近感を覚えました。

投稿: Theresia | 2016年8月 6日 (土) 16時54分

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