長年探していた本を見つけて手に入れた
自分がいままで一番感銘を受けた本ってなにかありますか?今でもその本の中身をある程度覚えているとか。このオイラにもあるのだよ。
それは中学生のころ、ポン友マー坊の家に遊びに行って、彼のオヤジの本棚にあったのを借りたんだが、あまりにも面白かったので返さなかった本だ。多分何十回も読んだのだろう。中学・高校の思春期のころだ。ふと考えると今のオイラにこの本の影響が多大に染み付いているような気がする。
ところが気がつくとその本は紛失していて、昔から古本屋や図書館でずいぶん探したのだが、絶版していて見つけることが出来なかった。
作者は中村浩という学者で大学教授兼シートン動物記・ファーブル昆虫記の翻訳者。その本の名は「糞ばか」という題名で記憶していた。それが昨日ネットサーフィンをしていて偶然見つけた。現在の正式名は「糞尿博士・世界漫遊記」だった。
オイラ今回電子書籍というのを、この思い出深いこの本で購入してみようとおもい、「電子書店パピレス」 のサイトから手に入れた。価格は630円。例によって会員登録をして、VISAのほうもネット用Vpass登録というのがあるそうで、これもついでにして、無事ダウンロードした。これ全部PCの前で出来ちゃった。IT技術さま様だね。Adobeの専用PDFで多少重いのが難点だが、しばらく使い方を覚えればなんとかなるだろう。
さあこの本についてに進もう。 はるか昔に何回も熟読したのだが、ずいぶん忘れてしまったところがある。多少風邪気味を口実に本業を休みにして、昨日今日で一気に読み直した。
目次
プロローグ
一 狸大明神のお告げ*狸大明神のお告げ*金魚のなぞ*黄金のスープ*ガマ将軍…ほか
二 香港での失踪*香港での失踪*ゾウの大グソ*糞玉ころがし*マカロニとクソ…ほか
三 湖上民族と牛のクソ*湖上民族と牛のクソ*ビールと小便*垢とエネルギー*東ドイツ着陸*ライオン騒ぎ…ほか
四 美人博士*美人博士*マリア・テレザの脱糞*ジャガイモとドイツ精神*アウトバーンの野糞*ラインの古城…ほか
五 パリのクソ談義*パリのクソ談義*香水の秘密*すばらしき下水道*ソルボンヌの落第横丁*馬糞の効用…ほか
六 宇宙旅行と糞尿*宇宙旅行と糞尿*アメリカ・インディアン
黄金計画*生きている石炭*オアシスの夢*ドライブ採集旅行…ほか
七 赤い国からの招待*赤い国からの招待*赤ひげと青目*
夜のモスクワ*屁の科学*糞尿爆弾の威力…ほか
八 ソチの英雄*ソチの英雄*コーカサスの旅*ロストフの居酒屋*モスクワ放送*ヒマラヤを越えて…ほか
九 アリゾナ砂漠へ*アリゾナ砂漠へ*蛇狩り*人体実験
十 食料革命*食料革命*スピルリナの開発*公害追放
エピローグ
あとがき
あとがきを読むと1972年「社会思想社」初版とあるが、それ以前に別の出版会社から出ていて、それが「糞尿博士・世界を行く」だったとあり、オイラが読んだのはその初版だろう。どうも記憶にある「糞ばか」がない。そこでさらにネットサーフィンをした。
糞尿というのは実学の対象であって、その処理やら加工やら活用についての研究は大概のところ究め尽くされているのではないかと思う。宇宙時代の糞尿科学に先駆的に取り組んだ中村浩の『くそ馬鹿―糞尿博士世界を行く』(1962年、白鳳社刊)は「黄金」に取り憑かれた自称・奇人学者が世界各地を歩いて書き下した抱腹絶倒の糞尿エッセイである。(この本は後に社会思想社の現代教養文庫に『糞尿博士・世界漫遊記』と改題されて入っている)
→納得した。「糞ばか」でここ数年検索していたから見つからなかったんだ。「くそ馬鹿」だったのだ。
この電子書籍というのは、いっさい文章をコピーできない仕組みになっているので(そりゃ当たり前だが)、オイラが気に入ったところだけ、テキストに起してみた。
この本が書かれたころの時代背景としては、1950年代と1960年始めごろで、東京の家々は、汲み取り便所がまだまだ主流であった。冬なぞは硬い奴だと跳ね返りを食らうこともあり、運動神経はこれでも鍛えたものだ。東京オリンピック(1964年)前後から急速に下水本管が設備され、水洗便所が普及していった。
"黄金放談”といっても、ここでいう黄金は、チャリンと金属音をハッスル黄金ではなく、湯気を立てて怪しい香りをハッスル黄金の事である。
・・・しかし、しかしである。カミは天皇陛下よりシモは乞食にいたるまで、人間である以上、毎日のようにこの黄金を生産する。ナポレオンしかり、マリリン・モンローしかり吉永小百合しかりである。
マリリンモンローもまだ元気だったし、吉永小百合はアイドルだったよ。
人間である以上この黄金に関心をもたずばなるまい。ところが、世界広しといえども、この黄金の研究に血道をあげている科学者は数少ない。
その研究者は、あほか奇人か、狂人あつかいにされる。かくいうわたしも、この阿呆の一人である。黄金の研究と取り組んで、
いつしか三十数年の月日がながれた。・・・
女房や子供にまで見はなされて、「クソを抱いて三十年」では都々逸にもならない。
このころの隅田川なんてのは、水上バスというのに乗った思い出があるが、その匂いたるやまさにウンコ川であった。実際ご幼少の記憶として船べりをウンコらしきものが流れているのを確認している。
「臭いものにはふた」で、日高くしに隠していた東京都のマンモス糞だめ、ついにあふれだして、東京湾を黄変せしめるにいたった。
人々はいまさらのように鼻をつまんで、「公害、公害」と叫びはじめ、「政府は何をしてるか!」とがなりはじめた。「それみたことか!」といいたいところである。
この辺から、このウンコ先生に運(ウン)が付き始めてきたようだ。
・・・そして、政府のれっきとした糞尿調査委員なる辞令をもらう羽目になった。この機関には、数少ない貴重な糞尿科学者が動員されたがほとんどがただ働きで、国家的事業を完遂せよという大使命をおわせられる。
日本は不思議な国で、学者なぞカスミを食って生きていけると思っているらしい。ところがである。ある日のこと、この阿呆学者は突然、赤い国から招待された。モスクワに乗り込んでみると、まさに準国賓待遇である。
オイラはご幼少のころは伊豆の海山で育って、付近の肥溜め(クソッタメ)の形状・場所は熟知していて無事避けていたのだが、母方の実家新宿・下落合の隣地の家庭菜園の肥溜めに片足を突っ込んでしまい、悔しいやら情けないやらで大泣きした思い出がある。
少年のころ、わたしは肥溜めに落っこちて、全身黄金仏となって救いだされたことがある。
このとき、糞尿の神は、わたしに乗り移ったのであろうか。
ガリバー旅行記というのも、オイラが知っていたのは一部的なことで、小人の国、巨人の国以外、もっと多くの変わった国があったらしい。実はイギリスの作家スウィフトは比類なき毒舌家であり皮肉親爺だったと。
スウィフト先生は、このような奇想天外の研究に血道を挙げているラガト大学を教員の集団とののしり、科学者などというしろものは、なんとこっけいな、非世俗的な、バカナカしい人種であるかと、多いに毒づき、嘲笑したものであった。
ところが、ところがである。それから三百年後の今日、この狂人たちの夢の多くが、なんらかの形で実現されてしまったのは、まったくもって皮肉と言わなければならない。さて、わたしが、このラガト大学の研究で異常な興味をいだいたのは、人糞をこねまわしてパンをつくる研究であった。この研究は、ラガド大学の研究以来、残念ながらさっぱり進展していないのである。ラガド的英知をもってしても「人糞をパンに変える研究」は容易に完成されなかったのであった。
ここにおいて、わたしは、決然として立ち上がった。これこそ、わたしに与えられた天の使命であると確信したからである。このとき以来、わたしは、まさに糞尿の鬼と化した。そして、糞尿科学について三十年の努力をつづけた。達磨は面壁9年にして悟りを開いたというが、わたしは愚才にして、面糞三十年もかかった。
このころ、オイラ中三か高一のころ。将来家庭を持って娘でもできたら、このとおり家では下品な話はできないなーと変に同調した記憶だある。まさか娘三人の父親になるなんて思ってもみない頃だった。
糞尿臭をただよわせながら、わたしはスイートホームにねぐらを求めて舞いもどる。と、ひとさわぎである。戦後、弱くなったものは亭主とおまわりであるというが、ポンコツ車の爆音とともに帰宅した亭主は、やにわに風呂場へと誘導される。
この強制入浴がすんで、はじめて亭主は被告のように、食卓につくことがゆるされるのである。このスイートホームでは、糞尿に関する談話はいっさいタブーである。このような下劣(?)な話は女房や娘のパリ的ムードがこれを固くこばむのである。
この辺のやり取りの描写がなぜか面白くて腹を抱えて笑ったものだ。オイラは高一の時、最初クラブはラクビーに入ったのだが、ラクビーをやめて落語研究会に入ったのは、この本を読んだのがきっかけだったのかもしれない。
「おっさん、金魚を飼う秘訣を教えてくれんかな」わたしは、金魚屋のオヤジにピースを一箱つかまして、愛想笑いをした。金魚屋の親爺は、江戸っ子らしく、ツートンとこの質問を受け取った。
「別に秘訣ってこたあねえが、養魚池に下肥をぶちまくのが、コツといえばコツでさあ。わしんとこじゃ、毎日肥桶二杯ほどぶちまくがね。すると藻がわく。藻がわきさえすりゃ、金魚は丈夫に育つってことよ。」この答えは、ピース一箱では安すぎた。「やあ、ありがとう!」わたしは、ナポレオンがジョセフィンの肩を抱いたように、思わずやさしく親爺の肩を抱いたのであった。
・・・・・「人糞に充電してパンと化するカギは藻にあり。金魚と人間を置きかえよ。クソをもって藻を飼い、藻を食らってクソをひれ!」と、わたしは研究日誌に書きなぐった。
このあと目次のように、糞尿でクロレアを培養する研究のため、各国に珍道中を繰り広げる。まだソ連のフルシショフ・米国アイゼンハワーやケネディーの頃だ。紀行文としても大変面白い。特にまだほんの一部の人しか海外に行けない1960年前後の時代のヨーロッパ各都市を糞尿先生の目を通して見るのも面白い。オイラも触発されてその後欧州にも数回旅行した。そのなかでの旅の仕方もこの本を参考にしたかもしれない。
最後にイタリアのローマ編のなかでのことを、テキストに起しておく(多少疲れてきた)。
はなしは、ぶっつけからクソ談義となった。プロフェッサー・イタリアーナは両手を大げさにひろげて、「まったくお恥ずかしい話ですが、イタリア人は、食物の四十パーセントをクソにします」といって、顔をしかめてみせた。
こんどは、わたしの番である。「日本人は、五十パーセント以上をクソにします。六十パーセントといってもオーバーではないでしょう。これは明らかに米食のせいです」というと、「イタリアでも、米作地帯では五十パーセントに達するかもしれませんな」といって、またアザラシのごとく笑った。
「一つ、日本人の大グソに関するエピソードをご紹介しましょう。かつて、われら日独伊同盟はなやかなりしころ、南洋のガナルカナル島を死守していた日本軍に、アメリカの海兵隊が総攻撃をかけてきたことがあります。
かれらは、海岸にある日本軍基地を艦砲射撃で叩きつけておいて、偵察舞台を上陸させました。もちろん、わが日本兵はスタコラサッサと密林の中に逃げこみました。敵の偵察部隊は、”どのくらいの数の日本兵がいるか”ということを探知する任務をおびていたのですな。
かれらは、おそるおそる上陸して、まず日本軍基地の便所をしらべました。そして、たまっているクソの量から、敵の兵力はおよそ二千人と判断したのでした。つづいて、物量にものいわせた総攻撃がはじまり、二千の日本兵を叩きのめす砲弾の雨が密林にふりそそいだのです。
ところがです、アメ公たちは、日本人が大グソをたれる人種であることをご存知なかった。かれらが二千人とふんだのは、じつは二百人だったのです。さしも勇敢なるわが日本兵も、アメ公のこの大ゲサな総攻撃で、皆殺しの憂き目をみたのです」
プロフェッサー・イタリアーノは、顔をしかめて、「大グソたれの悲劇でしたな」と、ため息をもらした。
どえらい自慢ばなしや馬鹿ばなしを、調子にのって書き下ろしてしまって、ホット一息つくと同時に、後悔の念がむらむらとわきおこってきた。そこで、蛇足ながらこのあとがきをつづって、世の諸賢にお詫びがてら申し開きをすることにした。
要は、「世の中には、糞尿とか微生物食などというつまらぬ研究に血道をあげているばか者がいたか」と思っていただければ、それで満足である。
人間という動物はだいたい馬鹿で、その馬鹿に属することはたいした恥ではない、とわたしは思っている。利口ぶっているやからは多いが、要するにぶっているだけであって、本質は馬鹿なのである。人間は、夢を追いかける馬鹿であるがゆえに、進化のみちをたどっているのである。レオナルド・ダ・ビンチや、ニュートンやアインシュタインのような天才ばかりがひしめいていたら、地球はとうのむかしに、原爆とか水爆とかやらで蒸発し、放射能うずまくいやらしい死の星と化していたであろう。
ところが、幸いに、人類の九十九・九パーセントは馬鹿であったので、人類は今日まで生きながらえているのである。世界の指導者のどいつもこいつも、たいして利口そうでないのはめっけものである。
馬鹿は、すぐ腹をたてたり、げんこをふりかざしたりするが、自信がないので、機会あらば逃げだそうとする。アメリカ、ソ連の指導者たちも、逃げ口上をちゃんと用意しながら、面子とかいうくだらぬことにこだわっているだけである。
人類のチャンピオンですらこのように馬鹿のタイプに属するのであるから、わたしのごとき庶民的馬鹿の生きる道も、おのずからあるというものである。
この本で、わたしがいいたいことは、人間馬鹿に徹すれば人生のみちが開ける、ということである。利口ぶっていてるあいだは、けっして極楽浄土は発見されないであろう。
さあ、今日は午後からみかん山でみかんの木の手入れだよー(マシン油の噴霧)
一粒で二度美味しいオイラのブログ: 今日の画像
今も昔もたいして変わっていないのかね。ただ昔の服装のほうが格調高く見えるような気がする。いや街全体が昔のほうが、格調高かったようだね。
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