あるブロガーの死。
「佐藤立志のマスコミ日記」ここ数年、オイラ「お気に入り」に入れて、よく訪問したブログサイトだが。 合掌。
毎回大変短く要旨をまとめているので読みやすく、弱者側からの視線で、保険業界の裏表を指摘してくれ、多くの知識を頂きました。
突然4月22日のページは半分冗談も混じっているのかと、それ以後注意して見ていた。発見から死まであまりにも早かったよ。米系保険には忠告通りオイラも入らないよ。
■2008/04/22 (火) 生還を期す
結論を言いますと、「覚悟のいる病気」とほぼ判明。
突然、声がでなくなり、月曜日の朝、大量吐血してしまいました。
そこですぐかかりつけの病院に行き検査したら、最悪の結果がでました。右肺の腫瘍が声帯を圧迫していたのです。
その病院には専門の科がないので、紹介状を書いてもらい専門の病院で再度、検査してもらうことになりました。
私自身も納得のできないこともあり、早急に専門病院で見てもらうために待機中です。しばしの娑婆ということになります。もし最悪の結果になったら、この日記のタイトル変更と当分の間、メルマガもお休みです。昨夜はなかなか寝れなかったなあ。
どちらにしても生還しますよ。
佐藤立志■2008/04/23 (水) 病院決定
明日、入院です。それで友人と「最後の晩餐」をやりましたが、話しが盛り上がらないないのです。友人たちは、気を遣っているのでしょう。
私は誤診だと思ってますから、まだ元気なのです。2月にレントゲンで何もなかったのが、二ヶ月後の4月のレントゲンでは5?pの「がん」だといわれて、納得できますか。
ただだだをこねているのは自分だけで、粛々と検査結果がでたら、やっぱいやだなあ。この頃、人のやさしさについて考えることがあった。孔子は「仁」といったが、人偏に「二」と書く。「二」とは自分と相手の「心」をいうのだろう。だから「二つ」なのだろう。
ただこの仁は、無償であるので、なかなかできない。メルマガの読者からたくさんのお見舞いをいただいたが、それでも全体の三分の一の人である。三分の一の無関心、三分の一が日記にしか興味がない人たちであろう。
お見舞いいただいた方には、御礼申し上げる。誤診でなくても絶対生還してやるw
■2008/05/19 (月) 生きています
生きてま~す。復帰はまだですw
■2008/06/06 (金) ちょっと復活
●家定は「脳性マヒ」
6月1日の「篤姫」はひどかった。史実どころか完璧に作り話になっているからもう唖然だ。篤姫の旦那である将軍家定が「うつけ」のふりをしていたというのだから、唖然を通り越して「でっちあげ」である。
徳川一門の越前藩主の松平慶永も将軍家定のことを「凡庸中でもっとも下等」と言っており、また将軍家定の小姓をつとめた朝比奈昌広も「家定は疵癪がつよく、挙動が尋常でないところがあった」との証言もある。
小姓といえば、家定の身のまわりの世話を焼くわけであるから真実味があるし、ハリスが将軍に謁見を求めた時には幕閣がこぞって反対した。その理由は、家定がじっと座っていられず、日本の最高権力者の恥をさらすことになりかねないと極度に恐れたからである。
病名は、「一説には脳性麻痺であった」(卜部典子「天璋院と大奥)ともいうが、これなら職務がたえられないのも理解できる。まぁNHKだから事実のねじ曲げも得意なのだろう。「篤姫」ではなく「あつかまし姫」に変えたほうがいいのではw■2008/06/22 (日) 佐藤立志氏逝去
6月19日午前9時27分、保険評論家の佐藤立志さんが東京都内の病院でお亡くなりになりました。55歳。葬儀は近親者で行われました。
常に軸足を弱者においた報道姿勢には定評があり、各マスコミ媒体でもご活躍されました。
6月20日付の同日記は、危篤状態に陥る前に佐藤さんが書き残したメモです。遺品のなかから見つかり、ご遺族の方から託され更新しました。
弱者救済――保険評論家、いち個人として、この信念を貫かれた佐藤さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌。(友人一同)
2004年の2月ブログ開始で、現在もこんにちまでの汗の結晶が全ページとして残っている。ときどき時間を見つけて読んでみたい。
| 固定リンク
コメント
320 名前:文責・名無しさん :2008/06/23(月) 14:11:01 ID:PXNerg2i0
っていうことは、本人は肺がんだと思っていたが、
先生から肺結核だと言われ生きる望みをもったが、
実はやはり肺がんで 全身にがんが転移して、
急速に亡くなった。
彼はいまでも 自分は肺結核で亡くなったと思っている。
でいいですか?
投稿: 青空 | 2008年6月23日 (月) 14時32分