長寿ってそんなにいいことなのか?
人間は自分の意思とは関係なく生まれ、自分の意思ではどうにもならない死が待っている。そして消えていく。
世界的に日本は長寿国だそうで、ここ二十数年トップクラスの長寿国とのこと。平均寿命は(数値切り上げで)女性86歳・男性79歳とのこと。まあ0.**や1才2才を争ってランクが上がった落ちたなんていうのも実にむなしい気がするね。
西部邁がよく語るのは、「人間ただ長く生きることではなく、いかに生きることに価値がある」。なるほどと思うし、賛同する。植物人間のようになってただ生かされ、多くの医療費を費やしながら数年・十数年と長生きをする。そんなものにどれだけの価値があるのか。
今回の後期高齢者保険・後期高齢者医療の問題は、オイラにとってまだまだ先のことだが気に掛かる。
あまりマスコミで語られない話をしたい。
オイラのポン友でクー坊というのがいるが。ちょうどバブルは崩壊したが、今だ土地の評価額が最高に高いころだった。クー坊の父親は早くに亡くなり、膨大な遺産は母親に継がれ、母親がもしもの場合には、クー坊がほとんどを相続する段取りだった。そこで彼は、会計士に相続の場合どのようになるか相談をした。法人の会社名義に変えておけば相続税は発生しないのだが、よくあることで母親名義だ。
結果に唖然とした。その時の路線価で対象の土地を計算すると、数億円の現金を相続税で納めなくてはならなかった。もともとクー坊は実業家だったので、会計士の助言のもと、関連で大きな事業を起し、それを会計上母親がやったことに計った。相続の時、被相続人(母親)の債務は、相続税の計算で控除されるからだ。全ての債務は母親名義にした。うまく行けば相続税を納めなくてもいいこともありえる。頭の中はラスベガスのネオンのようにテカテカ、チカチカだった。オイラもその時、コンサルと建築設計でポン友に加わった。オイラの頭もチカチカだった。
但しそれには重要な条件(オキテ)がある。被相続人(母親)死亡前の3年以内に発生した被相続人(母親)の債務は控除の対象にならない。つまりこれ目的の親族殺人予防のためなのか。対象にならなければ、数億円の相続税を国に持っていかれる。それ以前に融資でもしてもらわなければ、それだけの現金をそろえることもできない。土地の切り売りもできない。
天は味方したのか、しなかったのか。その後運悪く母親が脳疾患で入院、ほとんど意識が戻らず、云わば植物人間のようになった。その時点であと残り期日(相続税控除)は2年と数ヶ月。そこでクー坊は母親の延命にひた走った。とにかく病院にはどんなに費用がかかってもいいから一日でも長く生かしてくれとお願いした。
いくつか病院をハシゴをして、あらゆる延命をしてもらいその2年数ヶ月をクリアーして4年目に母親は被相続人となった。そう、母親は息子の為に頑張ってくれた・・・・・・?。何とかクー坊は莫大な相続税から逃れることが出来た。またその間母親がもらっていたかなり高額な遺族年金で母親の医療費は十分賄え、またその頃は老人医療には今よりもっと手厚い手当てがあったので、それだけで十分お釣りがきた。余ったお金でよりリッチになった。クー坊は母親の長生きのお陰で裕福な生活ができたのだ。
マスコミでの話や野党の話ではとかく綺麗なところの話しか入ってこないが、医療においては、上記のような目的の為の医療も多くあり、そのために制度としては莫大な医療費を使われている。オイラは現役世代の患者に対する医療内容と、高齢の患者に対する医療内容は違って当然だと思っている。
上記の例のようなことがなければ、オイラ延々と苦しい・痛いおもいをしながら、病院の売り上げ協力のため、尊厳も侵されながら、生き続けたくはないし、生かされたくもない。高齢の患者には、良い死を迎えられるような医療をしてほしい。高額な医療なんてしてくれなくてもいいんだよ。数ヶ月・数年長く心臓が動いていたってちっとも嬉しくない。実は家族だって嬉しくはない。
人はただ長く生きるのではなく、元気に尊厳を持って生きていることが大事だ。寝たきり、たれ流し、痴呆の状態で生かされて、それも長寿者の一人だ。日本は世界でもトップクラスの長寿の国です。誇ってください。だからこれを維持するためにますます保険料は高くなります。より高額なご負担をお願いします。→そんなことで競うなって。アホかいな。
将来オイラ団塊の世代の死期出番のころまでには、尊厳死が可能な体制にもっていってもらいたい。孫の世代に迷惑を掛けてまで、這いずって生きながらえたいとは思わない。
ただ最後に。
100才を過ぎても、元気に野良仕事なぞしている幸運なジジ・ババよ。あなたは特別な長生き用遺伝子をもった選ばれた人間じゃ。オイラもあやかりたいでーす。
一粒で二度美味しいオイラのブログ: 今日の画像
はじまり (BGM:♪ツァラトゥストラはかく語りき♪)
そして・・・・・・・・・・・・そして・・・・・・・・・・・・やがて・・・・・・・・・・・終わる・・・・・そして
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コメント
最後の写真。10回眺めて気がつきました。
最後のコマに凧が揚がっているのですね。
最初のコマに戻ると、孫ということで解釈しました。
投稿 青空 | 2008年5月22日 (木) 08時55分
全く同意です。
私は、もはや痰を吐くことすら不可能、しかもチューブで鼻や喉の奥を吸引される等意識のない高齢者を対象に生業している者です。
時々、痰を吸引する時抵抗のような反応もあります。痛いんだと思います。
申し上げた以外の診療の補助と日常生活の援助は心臓と呼吸が止まらない限り続けていかなければなりません。
こういう最期は絶対回避したいと思う自分なのに、今行っている業務はそれに相反する行為。
これが尊厳なのか?と常に疑問です。
人の最期はマスコミで見かけるような、心電図アレスト=静かな死ではありません。長く骨格筋を使わなければ、体は胎児のように真ん丸くしかも硬くなります。血管も脆弱になります。
その人の尊厳を守るため、必要最低限のことを施すにも体の機能に反した行為をしなければなりません。排泄の援助のため、硬く曲がった足を開くとき、意識がないにも関わらず”うーー、、”といううめき声があります。
実際の医療現場は様々な問題を含んでいます。
投稿 医療現場より | 2008年5月23日 (金) 00時19分