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2008年5月 5日 (月)

海中ダイビングとオイラ

オイラご幼少のころは、海岸の近くで育った。まだ満足に泳げない内から海中潜りをしていた。岩場もあり、砂場もありの、まことに具合のいい海岸だった。サザエ・アワビ・とこぶし・シッタカ・タコ・ナマコ等目に付くものは片っ端から採った。

8月のお盆にはオイラのオヤジとその弟達と一緒にひと気のない岩場に行き、ダイナマイトを海に投げ入れ、爆発のショックでサカナが気絶しているのを、オイラも手伝って拾い集めた。1回だけそのダイナマイトが計算通り沈まず、水柱が立ったことがあったが。一瞬皆逃げた。オイラも。オイラがご幼少の時分だから時効ということで白状する。その晩はそのサカナがお盆の親兄弟会のお膳に並んだ。

だからクストー船長の「沈黙の世界」なんて映画が来ると、よだれを垂らしながらよく観たものだ。あのように船で世界中の海を潜ってみたい。これがオイラの少年の頃の夢だった。

ちょうど大学のころは、例の大学紛争が始まって、オイラ日大で駿河台だったので真っ只中。秋田明大なんていたね。大学はロックアウトで勉強したくても授業がない。2月に両国講堂で試験問題事前公開の期末試験で進級。トコロテン方式で卒業組だ。ほとんど基礎を勉強しなかった。

その代わりバイトはしたよ。リッチだった。その金でアクアラング用具一式を購入した。12L補助タンク付エアーボンベ+ハーネス+レギュレター+水圧計+フィン+マスク+OKガン(強力な水中銃)+水中カメラ等。

新宿にあったダイビングクラブの仲間達と毎年3月は、沖永良部島の知名港にあった民宿をベースにして、昼と夜毎日ダイビングだった。その時採った夜光貝やパイプウニ等の貝をいまだに自宅に飾ってある。夜は水中ライトでイセエビ採り、昼はOKガンで1m近いロウニンアジ・アオブダイ。魚市場や料理屋に売りさばいて旅費の足しにした。近くの与論島にも足を伸ばした。

エラブウナギもよく捕まえた。ウナギというからウナギだと思って、平気で素手で捕まえていたが、後で調べるとなんと完璧な海蛇でないの。それもコブラクラスの毒を持つ。但し口が小さいので、人に噛み付いてどうのこうのということは無いらしい。強精剤で有名らしい。エラブウナギ

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また砂場に多くの貝を見つけスカリを持っていなかったのでパンツの中に入れて持って帰った。イモガイというヤツ。茹でて食べると美味しいんだが。あとで調べると、刺毒(シドク)を持っていて刺して相手を麻痺させるそうで。大事な処を使用不能にされるところだった。運が良かったと思う。最悪の場合には今の愛娘3人はこの世に存在していなかっただろう。愛孫も。また場合によってはその毒で死ぬこともあるとか。 毒銛を持つ殺人貝

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ポップガンというのがあって、シャフトにライフルの玉を込められるようになっていて、それを水中銃に設置して、シャークハントの武器とする。仲間が持っていて(オーストラリア製)ショモクザメは怖いので、おとなしい青ザメで試した。シャフトが強力ゴムの力で発射して、サメのボデーに当るとその打撃でライフル玉が暴発するので、サメは一発でしとめられる。サメの胴体に大きな穴が開いた。

今のように、スキューバーダイビングなぞと云わない時代(アクアラング)、ライセンス(Cカード)もいらない時代。水中銃もOK。特にこの島はその頃漁師があまりいなかったので、オイラ達が獲物を採ると喜んで仕入れてくれた。その後、漁民と揉める初期段階の開拓者だった。

タンクのエアーが残り少なくなり、補助用のレバーを引いて、最後のエアーをスパスパ・キュッキュキューと大事そうに吸いながら浮上したことが懐かしい。

一粒で二度美味しいオイラのブログ:    今日の画像

     南の島の海は信じられないほど素晴らしい。

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                魚群?  人群?

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コメント

はじめまして細野と申します、OKガンで検索したらここにたどり着きました。ブログ勝手に読ませていただきましたが大変興味深かったです。ありがとうございました。

投稿: 細野周一 | 2009年4月 8日 (水) 18時53分

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